台湾行政院(内閣)は、2007年1月に民間企業として営業運転を開始した台湾高速鉄道(台湾新幹線)の経営テコ入れに乗り出す。

台湾新幹線が運行本数削減へ、平日運賃と役員給与もカット

台湾の2大都市、台北-高雄を約1時間半で結ぶ〔AFPBB News

 台湾新幹線は首都台北と、南部の最大都市高雄の間345キロメートルを90分で結ぶ。財政難から民間資金を活用するBOT方式で、総事業費約1兆5000億円の一大国家プロジェクトを実現したものの、運営主体である「台湾高速鉄路(高鉄)」が多額の利払いと減価償却費で深刻な財政危機に見舞われ、政府が強制的に再建を主導することになったのだ。

 開業から3年近く、大きな事故もなく運営してきたことなどから、新幹線自体に対する評価は決して低くない。日本は新幹線技術の輸出成功例として、台湾新幹線の実績を海外への売り込みでアピールしたいところだろうが、経営面での挫折は、今後の国際セールスに水を差しかねない。

地震対策で日本の新幹線が逆転勝利

 ここで、台湾新幹線開業までの経緯を振り返っておこう。

 高速鉄道の計画は、国民党・李登輝政権時代の1990年代初頭に本格化した。当時の政府は財政支出を抑制するため、事業にPFI(民間資金による社会資本整備)の一種であるBOT (Build Operate Transfer)方式を採用した。政府が用地の買収・整備をした上で、設計や資金調達、建設、事業運営を民間企業に任せ、資金を回収した上で35年後に政府に資産を引き渡す仕組みだ。

 1997年に実施された競争入札では、独・仏の欧州勢と組んだ企業連合・台湾高鉄が、日本と組んだ中華高鉄との激しい戦いに競り勝った。その背景には、台湾高鉄が政府の財政支出を一切不要とする条件を提示したことに加え、台湾政府には兵器の重要供与先であるフランスとの関係を強化する狙いもあった。

 ところが、契約翌年の1998年にドイツの高速鉄道ICEが約100人の死者を出す脱線事故を起こす。さらに、1999年に台湾中部大地震が発生。営業運転開始以降、1人の死亡事故も起こしていない日本の新幹線への再評価機運が一挙に高まった。

台湾初の「新幹線」、1か月の試運転 - 台湾

東海道・山陽新幹線の「のぞみ」がベースの車両〔AFPBB News

 台湾高鉄は政府の指導の下、耐震性に優れる上に、地形や天候が台湾と近い日本の新幹線の導入に方針転換したのだ。しかし、これに欧州勢が大反発、「車両は日本、システムは欧州」という和洋折衷案の採用を迫られることになった。これが事業運営に深刻な禍根を残し、開業時期が1年以上も遅れるという事態を招くことになる。