2008年8月7日から8月12日にかけて勃発したロシアとグルジアの武力衝突は「5日間戦争」と呼ばれている。戦争そのものは短かったが、誕生したばかりのメドベージェフ大統領政権にとっては厳しい試練となった。現在もその後遺症は重く残っている。

 戦争から3年経ったことをきっかけに、メドベージェフ大統領が、グルジアテレビ局を含むマスコミのインタビューに応じた。2012年春の大統領選挙に挑戦する彼にとっては、絶好のPRのチャンスである。

 インタビューで彼が明らかにした戦争についてのいくつかの「真相」は、その意味で注目に値する。

「自分が好戦派を抑え込んだ」

 2008年8月7日夜中、グルジア軍が南オセチア自治州に侵攻した。その知らせを聞いて、メドベージェフ大統領は迅速な対応を迫られた。

 この時、大統領は、北京オリンピックの開会式に出席したプーチン首相には相談せず、自分で派兵を決めたという。この告白には、彼につきまとう「首相があっての大統領」というイメージを覆そうという狙いがあることは明らかである。

 メドベージェフ大統領が派兵したロシア軍はグルジアに攻め込んだ。グルジア軍からの抵抗はほとんどなく、グルジアの首都、トビリシまであと20キロというところまで迫った。だが、そこで立ち止まって後退した。

 これについて大統領は、「敵」の首都を占領し、猛烈な反ロ勢力であるグルジアのサアカシュビリ大統領政権を武力で倒すことは可能だったという。しかし、その誘惑には乗らず、制圧を主張するロシア軍と一部の政治家を自分が抑え込んだのだと明かしている。

 大統領の腹心であり「頭脳」である「現代発展研究所」のユールゲンス所長は、「もし大統領が好戦派を牽制しなかったら、ロシアは今と違う道を進んでいたかもしれない。大統領の決断はまったくもって正しかった」と、メドベージェフを讃えている