核兵器をゼロにするという構想が次第に現実味を帯びてくると、ならず者国家の指導者だったらこう考えると思う。
「あ、じゃ、最後まで核を持ってて『え? 皆さんもう捨てちゃったんですか、ボクまだ持ってますけど』って言えるようになろう」
核削減のゲームだと、最後の1発を持った者が強い。平壌などにそんなことをさせないため査察の態勢をうんと強めるにせよ、岩盤深くえぐった地底にぶ厚いコンクリートで隠していたりしたら、ほんとに目が行き届く、ないし、査察できるのだろうか。
矛盾だらけの核廃絶論議
昨今内外の核廃絶論議に、解けない矛盾は少なくない。今回その一、二を見ようと思う。
ならず者が隠匿する核を、武力で破壊しなくてはならない事態になったとする。例えばその時どうするかという問題が1つ。
堅固な掩蔽(えんぺい)に強烈な貫通力を発揮する爆弾というのは、やっぱり核になる。核爆発力を貫通性能に集中させた、俗称「塹壕潰し(バンカー・バスター)」があるといい。
ところで核には違いないこの兵器を、金正日だかの秘匿核破壊のため用いることは、「核の先制使用」に当たるのか?
たぶんそうなるのだろう。とすると、日本国外相によればこれは断じて容認されない。
実は核の先制使用を許さないという立場のその先には、理屈からして敵の第1撃はこれを甘受するという帰結がある。
ヒロシマ、ナガサキを繰り返していいなど誰も思ってはいまいけれど、「どうぞ、攻撃したければなさい。それでも我らは先制攻撃をしないのです」という志操を貫けなくては、論理の首尾が一貫しない。ところで日本は「唯一の被爆国」なので、それだけの覚悟もあるというわけだろうか。