13年前、高校野球史上、歴史的な点差を記録した「122対0」という試合があった。この時、敗者となった青森県立深浦高校(当時、現在は木造高校深浦校舎)の野球部が、その後学校の分校化などで、部の存続も危ぶまれる中、今日まで立ち直ってきた経過と郡部の学校の抱える問題を前回記した。

21年前の3分の2に減った町民

日本海沿いを走る五能線

 現在、深浦校舎の全校生徒は70人、みんな地元の中学から進学してきた。その意味で町の高校と言っていい。だから学校の勢いも町の力に左右される。

 その町の人口は今年6月末で9951人。1980年と比べるとおよそ3分の2だ。2005年3月に南の岩崎村と合併したが、減少傾向に変わりはない。

 南は秋田県に接する深浦町は、日本海沿いに78キロもの海岸線を有し、これに沿って走るのが国道101号と、鉄道ファンの間では人気のあるJR五能線だ。険しい山が海岸に迫るわけでもなく、鉄路も道路も海岸線に出ては隠れながら緩やかに弧を描いて走る。

 海から離れ東に目を移せば、世界自然遺産の白神山地が控えている。自然環境としては申し分ないのだが、それは裏返せば過疎地の証しでもあり、町では長年過疎対策に頭を悩ませている。

 これだけの海岸線を有しているが、魚種が豊富なことが自慢であったこの地の漁業も先行きは不透明だ。

ホッケ漁は最盛期の10分の1にまで減少

 スルメイカやヤリイカの漁獲は少なくなり、ホッケは最盛期の10分の1ほどだという。加えて、どこの漁協でも同じだが、漁業従事者の高齢化と後継者不足という長年の課題がある。

 同じ青森の過疎地である下北半島を見れば、ご存じのように原子力関連施設が立ち並び、同じ漁業者でも、補償金が入って“新しい船をつくった”といった話が深浦へも伝わってくる。

 一時は「こちらへも原発でもつくってもらったらどうだ」という会話が冗談交じりに出てきたほどだ。

 事実、1974年に放射線漏れ事故を起こした原子力船むつが、地元の反対で母港の陸奥大湊港に戻れなくなった時、旧岩崎村(現在の深浦町)は、受け入れを表明したことがある。これは地元で反対が多く実現はしなかったが、これも一種の開発願望であった。