2011年7月7日午前零時15分(韓国時間=日本時間と同じ)。南アフリカのダーバンで開催された国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2018年の冬季五輪を韓国北東部の平昌(ピョンチャン)で開催することが決まった。
結果発表があった現地会場の最前列で歓喜の表情を浮かべた韓国代表団の中心には、李明博(イ・ミョンバク)大統領と李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン電子会長の姿があった。
「開催地は平昌」との発表があると、李明博大統領は隣で涙ぐむフィギュアスケートの金妍児(キム・ヨナ)選手と握手して喜びを分かち合った。すぐそばでは、李健熙会長が興奮した表情で満面に笑みを浮かべた。
2人の韓国の指導者にとっては、どうしても実現しなければならない招致だった。
まさに「国ぐるみ」での猛烈な招致活動
「国ぐるみで全力を挙げて招致しないと勝てるわけがない」。ちょっと前に、東京都の猪瀬直樹副知事が東京五輪の招致問題について、こうコメントしているのを読んだことがある。
今回の韓国政府の招致にかける意気込みは、まさに「国ぐるみ」だった。
とにかく気合が入っていたのが、李明博大統領だ。IOC総会が開かれるダーバンに入ったのは7月2日。冬季五輪の開催地を決める投票まで5日も早く現地に滞在した。
この間、李明博大統領は各国メディアのインタビュー、プレゼンテーション、公式行事出席、要人との会談などのスケジュールを次々とこなした。
立候補したドイツのアンゲラ・メルケル首相やフランスのニコラ・サルコジ大統領は、ついに最後まで南アを訪問しなかった。プライドが高いIOC委員にとって、必死に最後の招致活動に走り回る李明博大統領の姿が大きなポイントとなったことは間違いない。
韓国が平昌への冬季五輪招致を決めたのは、10年以上も前の2000年。2010年大会の開催地を巡ってはバンクーバーに4票差で、2014年大会の開催地を巡ってはソチ(ロシア)に3票差で敗れた。