失われた20年に大震災。日本はまさに正念場であろう。税金のばらまきや増税・減税など正反対の声が飛び交う中、政局は混迷を深めるばかり。北岡伸一『清沢洌』にビビッドに描かれる、効率無視で目前の利益に踊らされる戦前の日本の轍を踏まないことを祈るばかりである。

ソ連崩壊がもたらしたモラルの崩壊

2000年を祝うトビリシ市民と当時の市庁舎

 こういう時こそ、外国に学ぶ意味があるだろう。まさに筆者が滞在した1990年代末のグルジアでは、旧ソ連の周縁部として近代国家の歪みをいやほど目の当たりにさせられた。

 自分でゆすりを働くか、何か職権を売らないと家族を食べさせることができない公務員たちの姿は、一度は達成された(政治的に不自由はあっても)それなりに快適な生活が突如崩壊した後の「公共」不在とモラル崩壊の姿であった。

 社会インフラでいえば、前回も触れた電力が生活の要かつフラストレーションの源であった。もう少し当時の実情を伝えたいと思う。

 筆者がグルジアを初めて訪れた1995年、驚いたことは2つあった。1つは外国人と見ると必ずロシア語で話しかけてくること(こちらが返せないとものすごく驚かれた~東側に来たと実感)と、都会の集合住宅ではガス・電気・水道・集中暖房の「痕跡」が見られ、それらがソ連時代は無料で使い放題と知らされた時である。

 マッチでストーブに火をつけながら、グルジアのお年寄りが「この年でマッチを使うことになるとは思わなかった、日本にはマッチなどないだろう、こんな石油臭いストーブなど使わないだろう」とよく言われた。

集中冷暖房が当たり前だった旧ソ連の生活

 実は、その頃もマッチで古い灯油ストーブに火をつけていた実家を思って苦笑したものである。初めは「悪の帝国」の(かつての)意外な生活水準の高さに驚いたが、この高コスト体質では国が滅ぶのも宜なるかなと次第に思うようになった。

 ソ連時代に社会インフラにお金を払うという習慣のあまりなかった市民は、もちろんお金も全然ないので市場経済化されても電気・ガス・水道に払うお金がなかった。ガスは真っ先に供給がなくなり文字通り各家庭に廃管が残った。

 水道(となぜか市内通話)は筆者の滞在中、ほとんど無料に近い状態であったが、さすがに大々的に水を止めるのは人命に関わるということであろう(もっとも停電と断水はほとんどセットであった。電話はおしゃべり好きで電気にも不自由する市民の最後の憩いに対する配慮だったのだろうか)。