文化大革命が中国社会に与えた影響に関する研究には優れた著作が少なくない。しかし、中国一般庶民の「心」に対するインパクトに絞った実証的かつ包括的な研究となると、あまり見かけない。客観的な調査やアンケートの実施自体が難しかったからだろうと思う。
そうなると、文革で傷ついた中国人の「心」がその後どうなったかは、限られた文献と筆者自身が直接聞いた話を基に推測するしかない。これから書くことは、あくまで1つの仮説であることを、読者の皆様にあらかじめお断りしておきたい。
文化大革命期(1966~1976年)
文革中に紅衛兵は「反動的」伝統文物をことごとく破壊していったが、当時、これに体を張って抵抗した人々が中国に数多くいたことも事実である。文革以前の教育を受けた人々のこうした「良心」は歴史として正確に記されなければならない。
一方、文革の嵐の中で一般庶民が退避できる「私的領域」が極小化したことは既に述べた。逃げ場を失った中国人の「心」は急速に真空化し、その空白を『毛沢東思想』が徐々に埋めていった(少なくとも、その振りをしなければならなかった)のではなかろうか。
文化大革命の終焉と改革開放(1977~1989年)
毛沢東という独裁者の死により、中国人の「心」は再び真空化していったに違いない。文革による破壊が徹底的だったこともあり、伝統文化や既存の宗教が人々の「心」を直ちに満たしていったとは思えないからだ。
むしろ、一般庶民は文革の犠牲者だった「鄧小平」に希望を託したのではなかろうか。改革開放政策による経済復興と生活向上への憧れが彼らの「心」を捉えたのだろう。1980年代に入り、政治的締めつけは幾分緩和され、庶民の「私的領域」も大幅に回復されていった。
さらに、趙紫陽の時代になると、自由化・民主化へのほのかな期待すら高まるようになる。この時期、中国人の「心」は伝統文化や既存の宗教よりも、より新しい「生活向上と自由・民主」への期待で満たされ始めたのではなかろうか。