太陽光よりも野菜が育つ工場

世界初、LED照明の植物工場が誕生するまで(前篇)

2011.06.17(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 太陽の光の下で野菜などの植物を育てる。当然すぎるようなこの栽培法が、当然のものではなくなってきている。太陽光から隔絶された「完全制御型植物工場」という閉鎖空間で、野菜などを栽培する技術が進化しているからだ。これまでの農業とは一線を画す、植物栽培の「飛躍」が植物工場にはある。

 人工的な環境のもとで植物を育てる上で、とりわけ重要になるのが光だ。日本をはじめ世界の植物工場で様々な種類の光が灯されてきた中、玉川大学農学部の渡邊博之教授は、発光ダイオード(LED)の光を植物栽培に駆使することを思いついた。社会でも普及しつつあるLEDの光を、工場の植物はどのように受け止めるのだろうか。

 かつて「野菜」は文字どおり、野に生える菜(な)のことを指していた。食していたのは大名などの支配者たちで、嗜好品の色合いが強かったという。その後、室町時代になると、城下町の庶民も野菜を食べるようになり、需要を満たすべく野菜の栽培が本格化していったという。

 なじみある野菜の数々。いつ日本に入ってきたのかは種類によりけりだ。サラダやサンドイッチに使われるリーフレタスは、すでに奈良時代に中国から入ってきていたという。

 ジャガイモは、安土桃山時代の1598(慶長3)年、ジャワ島のジャカルタからオランダ人により持ちこまれ「ジャガタライモ」と呼ばれるようになった。

 トマトはというと、江戸時代に観賞用として入り、食用として栽培されたのは18世紀からだ。野菜の種類と同じ数だけ、渡来や栽培の歴史がある。

 野菜の栽培技術は確実に進歩を遂げてきた。1893(明治26)年には、東京帝国大学園芸学講師だった福羽逸人が著した『蔬菜栽培法』により、多くの野菜の栽培法が体系化された。大正時代には、ホウレンソウやキャベツなどの栽培も進んだ。

 大きな変革があったのは、終戦直後の1946(昭和21)年だ。東京・調布飛行場の西側に「ハイドロポニックファーマ」と呼ばれる農場が占領軍によってつくられ、一角に2ヘクタールの「ガラス温室」ができた。ここで米兵たちは小石を敷きつめてサラダナの苗を植え、栄養豊富な溶液を与えて育てた。これが世界初の溶液栽培とされる。

 そして、この農場で働いていた日本人たちが、この溶液栽培技術を日本各地に広めた。トマト、ナス、ホウレンソウ、レタス、さらにメロンやイチゴに至るまで、現在に続く溶液栽培が広まっていった。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


農業の進む道

就業者の高齢化と減少、国際競争力の欠如など、様々な問題を抱える日本の農業。農業改革が遅々として進まないのはなぜか。農業を覆う問題の構造を明らかにし、あらゆる方面から日本の農業を活性化する方策を探る。