1976年5月24日、ワイン業界を揺るがす事件が起こった。パリのワインスクール経営者が銘柄を隠してワインの味を評価するブラインドテイスティングを企画。当時は、「安ワイン」としか認知されていなかったカリフォルニアワインが、世界最高峰の誉れ高いボルドーを破って1位となってしまったのだ。ワイン生産地として、カリフォルニアの名声は一挙に高まり、今や、本場フランスに勝るとも劣らぬ人気と実力を誇る。

 後発の生産地であるカリフォルニアは、「オールドワールド」と呼ばれる欧州に学びつつ、科学的アプローチを積極的に取り入れることで今日の地位を築いた。産学連携によりブドウ収量を飛躍的にアップさせ、高いレベルで品質を安定させる生産技術を確立したことが躍進の原動力だ。その中核となっているハイテク醸造研究の総本山・カリフォルニア大学(UC)デービス校を訪ね、実像に迫った。

栽培地選定に人工衛星活用

ブドウ栽培・醸造学科の研究施設「ロバート・モンダビ・インスティ テュート」中庭で語るブルトン教授

 ブドウ栽培・醸造学科を率いるのは、オーストラリア出身の醸造学博士ロジャー・ブルトン教授(59歳)だ。ワイン通の間で「ワイン造りの女神」と称される醸造家のハイジ・バレット氏をはじめ、カリフォルニアワインの担い手を数多く育ててきた。

 ブルトン教授は「西海岸のワイン業界は、シリコンバレーのIT(情報技術)ベンチャーと似ている」と言う。「世界に販路を持つ巨大資本ばかりでなく、海外参入組を中心とする新陳代謝が活発。常に新しい風が吹き込み、生き残りのために、よりよいワインを造ろうという空気が満ちている」そうだ。

 デービス校はそうした数々のワイナリーと日常的に連携し、土作りから醸造段階に至るまで最先端のノウハウを提供している。

 具体的には、NASA(米航空宇宙局)の人工衛星データや全地球測位システム(GPS)を活用し、代表的なブドウ産地であるナパバレー、ソノマバレーの複雑な地形を3D(立体)画像に変換。日照時間や昼夜の寒暖差、水はけなどの累積データも加え、カベルネ・ソービニヨン、ピノ・ノアール、メルロー、シャルドネといったブドウの樹種別に最適な栽培候補地を割り出す。また、化学解析を多用した土壌分析などITをフル活用して「科学」を前面に追究するのが特徴だ。

ブルトン教授の実験室

 教授が案内してくれた実験室では、部屋全体が赤い光に包まれる中で、学生たちが実習中だった。赤外線で液体の色を分からなくした上で、発酵途上にあるワインのアロマ(ブドウ本体の香り)や舌で感じるタンニンのザラつきを頼りに発酵レベルを正確に把握し、今後の熟成のポイントなどを学生たちが議論するのだという。

 醸造研究でデービスと双璧をなす仏ボルドー大学が農場実習を重視しているのに対し、デービス校はラボや教室での授業が大半を占める。しかし、ブルトン教授は「座学偏重との批判は正確ではない。科学的なアプローチで、ワインの質をより高める余地も、まだ、十分に残っている」と反論する。