先日久しぶりにグルジアの話題が日本の紙面を賑わした。ただし、例によってあまり明るい話題ではない。5月26日の独立記念日前夜、軍事パレードを阻止するために徹夜でピケを張ろうとしていたデモ隊を治安部隊が強制排除し、警官を含めて2人の死者が出たというものだ。

流血のデモ粉砕

グルジア独立記念日、首都で軍事パレード

軍事パレードのの中止を求めてデモが発生(写真は2010年5月のもの)〔AFPBB News

 デモは親露急進派の野党を率いるニノ・ブルジャナゼ女史(前国会議長・元暫定大統領)の呼びかけで行われた。

 この事件後、ブルジャナゼ女史の夫、バドリ・ビツァゼ元国境警備隊司令官を訴追する動きを見せるなど、政権側は高圧的な姿勢で反対派に臨んでいる。

 ミハイル・サーカシビリ政権が野党デモを強制排除したと言えば、2007年11月のトビリシ事件の記憶が現地ではまだ生々しい。

 逃げ惑う群衆に治安部隊が襲いかかったこの事件では数百人の負傷者を出し、サーカシビリ大統領が一気に評判を落とした。翌年8月に起こした戦争は、低落した人気の挽回を図るためだったと勘ぐる向きもあるほどだった。

 今回は2007年に比べればデモの規模がはるかに小さいとはいえ、死者も発生しており(逮捕者は約90人)、政権にとって大きな失点となり得る。

 しかし、前回のデモの背後にいた政商パタラカツィシュヴィリ氏と比べブルジャナゼ女史の求心力は極めて弱い点は政権にとって救いだった。

 一時的にブルジャナゼ女史との提携を表明し、政治亡命先のパリから独立記念日に逮捕覚悟で帰国すると発表した、かつてのサーカシビリの盟友オクルアシュヴィリ元国防相も帰国を早々と断念している。

 こうしたまとまりのない野党の足下を見透かした(見下した)警察によって引き起こされたのが、今回の強行措置だったと言える。

 2008年の8月戦争後、一時は窮地に陥ったサーカシビリ政権であるが、新たな指導者を見い出すことができなかった野党の拙攻に助けられ、国内的にはむしろより強い立場を築きつつあるようにも見える。