腕相撲に興じる盛田昭夫氏(左)と井深大氏
写真提供:共同通信

「ものづくり大国」として生産方式に磨きをかけてきた結果、日本が苦手になってしまった「価値の創造」をどう強化していけばよいのか。本連載では、『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』の著者であり、故・糸川英夫博士から直に10年以上学んだ田中猪夫氏が、価値創造の仕組みと実践法について余すところなく解説する。

 第9回では、異なる才能を持った者同士を組み合わせ、創造性を発揮するための仕組み「ペアシステム」を取り上げる。糸川博士は、ロケット開発という日本初の「新しい価値」を創造するために、いかにこのシステムを生み出したのか。

ペアシステム誕生の経緯

 第8回で紹介した主査の10カ条には、トヨタのチーフエンジニア(CE)であった長谷川龍雄氏の「第8条 主査と主査付(補佐役)は同一人格であらねばならぬ。」、初代プリウスの開発を主導した和田明広氏の「第10条 CE付を育てること。また、信用し任せる努力をする。」、若者向けのbBやグローバルモデルのカムリのCEだった北川尚人氏の「第14条 CEは一生懸命若手や次世代のCEを育てよ、時には厳しく上手に叱れ。」とあるように、CEは補佐役である主査、主査付と主従の関係となっている。

 また、CEに任命される人材が自動車のボディーを設計する部署の出身だとすると、補佐役の主査や主査付はそれ以外の出身部署の人材が登用され、チームとして多様なメンバーで構成されているという。

 創造性組織工学(Creative Organized Technology)における価値の創造主であるPM(プロフェッショナルマネージャー)は、ペアで仕事を行うことが前提になっている。これはロケット開発における次のような失敗から生まれたものだ。

 日本のロケット開発は、戦時中に「桜花」「奮龍」「イ号一型甲・乙無線誘導弾」(※)「秋水」というロケットもどきを造った経験があるだけで、ロケットの専門家は全くいない状態だった。そこで糸川英夫博士はやむなく、自発的に参加を申し出た東京大学生産技術研究所の20人による集団体制でロケット研究をスタートすることになった。

※イ号爆弾は甲と乙がロケット推進方式、丙は東大第二工学部時代の糸川博士作で無動力。ちなみに、このイ号プロジェクトで井深大氏と盛田昭夫氏は出会い、ソニーの前身である東京通信工業の設立につながった。

 ところが、東大内部では、「糸川英夫は自分がリーダになって、ロケット研究の組織を東京大学に作ろうとしている。これは独裁者による全体主義だ」と受け取られ、教授会で非難の対象にされてしまった。

 当時、日本には敗戦ショックがまだ残っており、戦犯、ナチス、ヒトラー、全体主義という言葉が最大級の非難表現とされていた時代だったのだ。すると20人の集団体制だったはずのプロジェクトから離れる人が続出し、結局6人が残ることになった。