2024年12月に亡くなったスズキ元社長の鈴木修氏写真提供:共同通信社
スズキ元社長の鈴木修氏が亡くなってから約1年――。今振り返りたいのが、1981年8月12日に開かれたGM、いすゞ、スズキの3社による提携発表の記者会見だ。いすゞ主導で進められたこの提携を巡り、GMとスズキの規模の違いを懸念する声もある中、鈴木氏は“雑音”を見事に吹き飛ばした。『軽自動車を作った男』(永井隆著/プレジデント社)から一部を抜粋・再編集。カリスマ経営者の機転を伝える2つのエピソードを紹介する。
軽自動車を作った男
『軽自動車を作った男』(プレジデント社)
全国統一価格は、業界初の試みだった。当時は輸送費の違いから、地域によって販売価格に差があった。さらに、同じブランドの中でも、内装の違いなどから「デラックス」、「スタンダード」などと価格を差別化していた。
これをひとつにまとめたわけだが、その後1999年発売のトヨタ「ヴィッツ」(現在の「ヤリス」)も全国統一価格を実施してヒットさせている。
「アルト」が大きく売れたことにより、軽自動車市場そのものも発売翌年の1980年には、100万台の大台を回復。以来、100万台を割り込むことはない。ちなみに、2023年が約174万台、24年は約156万台だった。
軽自動車をセカンドカーとする、新たなニーズが創出されるが、特に地方では自動車は「一家に一台」から「一人に一台」へと移行していく。きっかけを作ったのは「アルト」だった。
特筆すべきは軽自動車そのものの有り様の変化である。
21世紀に入り、我が国の高齢化は急速に進む。とりわけ、高齢化率が高いのにバス路線も廃止されていく地方において、「一人に一台」の軽自動車は、「生活者の足」と化していく。つまり軽自動車は必需品であり、インフラとなっていった。その原点に「アルト」はある。
なので、鈴木修は「軽自動車を作った男」なのだ。
アルトにはこんな秘話もある。






