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 25歳でダンキンドーナツの経営を引き継いだ若きCEOは、売上高1000万ドルの小規模チェーンをいかにして25億ドルの世界的企業へと成長させたのか? 『世界最大ドーナツチェーンの成功法則』(ロバート・M・ローゼンバーグ著、茂木靖枝訳/早川書房)から一部を抜粋・再編集。1963年から98年にかけて同社を率いたロバート・M・ローゼンバーグ氏の「経営の軌跡」を振り返る。

 マニラのフランチャイズ加盟店が始めた、本社が承認していない販売システム。突出した成果をもたらし、ダンキンドーナツのビジネスモデルを激変させた仕組みとは?

流通の拡大

 レオは、わたしのミッションがマニラで発展した未承認の流通システムに終止符を打つことだと承知していたが、賢明にもその話題にはふれなかった。訪問中に知ったことだが、ダンキンドーナツの名のもとにドーナツとコーヒーをキオスクで提供し、販売するこのシステムは、役員の妻たちによって作られ、推進されていたのだ。

 役員一家はマニラで最も裕福で人脈もある。その配偶者たちは、コンビニエンスストアや映画館のような人通りの多い場所にキオスクの一等地を確保するためにコネを使い、5セントでドーナツを配達したり、キオスクのスタッフを雇ったりしていた。このような小さなキオスクのほとんどは営業時間が限られており、マニラで営業している数少ない製造店からドーナツを調達していた。最も重要なことは、妻たちが利益からかなりの額を自分のポケットに入れていたことだ。

 店舗訪問に加えて、フィリピン滞在中にはふたつの特別な行事が予定されていた。ひとつは、小さな倉庫と配送センター、そしてダンキンドーナツ大学の教室を立ちあげる一連の式典に参加することだった。もうひとつは、チームメンバーの功績を称え、祝うフォーマルなディナーだ。役員全員と、もちろんその妻たちも招待された。

 初日の夜、わたしは用意してもらった刺繍入りのバロン〔フィリピンの伝統的な男性用シャツ〕を身に着け、出席者たちに、洗礼の儀式で通常おこなわれるような硬貨を配った。その日の夕方、何人もの妻たちがわたしに話しかけてきて、キオスクでの成功についていろいろと語ってくれた。

 2日目の夜、ディナーの席で、妻たちはわたしの両脇に陣取り、彼女らの流通システムの利点についていろいろと教えてくれた。自分たちのビジネスに終止符を打たないでほしいと懇願されもした。わたしは彼女たちを拒絶する勇気はなく、検討すると伝えた。実際、彼女たちの実績には説得力があった。