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 25歳でダンキンドーナツの経営を引き継いだ若きCEOは、売上高1000万ドルの小規模チェーンをいかにして25億ドルの世界的企業へと成長させたのか? 『世界最大ドーナツチェーンの成功法則』(ロバート・M・ローゼンバーグ著、茂木靖枝訳/早川書房)から一部を抜粋・再編集。1963年から98年にかけて同社を率いたロバート・M・ローゼンバーグ氏の「経営の軌跡」を振り返る。

 就任直後から順調だった経営は、拡大を急ぐあまり、打ち手が次々と裏目に出始める…。意思決定のどこに問題があったのか?

戦略

 この時期のわたしは、事業の多角化だけでは飽き足らず、またしても国際的な事業展開に挑戦した。イギリスでの損失にも懲りずに、日本のマスターフランチャイズのなり手を探し、小売グループの西武に権利を付与した。

 西武は、多角経営を展開する、非常に成功している上場企業だ。これもやはり、ミスター・ドーナツの戦略的な動きに呼応したものだ。ミスター・ドーナツはヨーロッパへ進出することはなかったが、1968年にインターナショナル・マルチフーズに売却される前に、日本にマスターライセンスを付与している。

 ミスター・ドーナツのライセンシーは、大阪に本社を置くダスキンという民間の(そして非常に成功している)フランチャイズ企業で、独特の運営方法をとっていた。同社はフランチャイズ契約した個人に一定の区域を与え、その個人は担当区域の家庭を訪問し、汚れたぞうきんを清潔なものと交換して料金を徴収する。

 ダスキンという社名は、ほこりの「ダスト」と「ぞうきん」に由来する。同社は、宗教団体の金光教の信者であり、社会奉仕を戒律の中核のひとつとする、新興仏教運動の精神的指導者である鈴木清一によって設立された。日本でダスキンやミスター・ドーナツのフランチャイズ権を付与する前に、フランチャイジー候補者は見知らぬ人の家のドアをノックし、トイレ掃除を申し出る必要があった。

 この研修は、他人のために奉仕する意欲が加盟希望者にあるかどうかたしかめるためのものだ。この日本のミスター・ドーナツのフランチャイジーは、手ごわい競争相手となることが明らかになった。

 1970年代初頭、わたしは一年に数週間、ライセンス交渉と現地での事業立ちあげにかなりの時間を費やした。