八尋俊邦氏(1980年11月撮影、写真:共同通信社)
中東屈指の産油国であるイラン。イスラエルの攻撃で政情が不安定化しているが、現在の国家体制は半世紀前の革命によって樹立した。当時三井物産はイランで社運を賭けたプロジェクトを進めていたが、革命やその後の戦争でプロジェクトはついえた。そしてその“敗戦処理”を託されたのが、社長・会長を務めた八尋俊邦氏だった。
商社初の経団連副会長に就任した八尋氏の出自
今回の主人公は、三井物産で社長・会長を務め、商社では初の経団連副会長に就任した八尋俊邦氏(1915─2001年)だ。
1980年代から1990年代にかけて、間違いなく財界の中心人物の一人だったが、今となってはほとんど名前を聞かない経営者だ。日経電子版で検索しても、2024年に掲載された演出家・鈴木忠志氏の「私の履歴書」の中に一度だけ名前が出てくるだけだ。
八尋氏自身、「私の履歴書」を書いているが、掲載されたのは1989年12月。古すぎて電子版では読むことはできない。
こんな過去の人物をなぜ取り上げるのか──。






