董卓と曹操
約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?
残虐で多くの民の憎しみを買った董卓、そして父の恨みを晴らした曹操
董卓は少年皇帝を軍事的な力で囲い込むと、洛陽で好き放題を始め、あまりの無法と残虐さから、他の武将や政治家、民衆の恨みと怒りを引き起こしました。この結果、反董卓連合軍が生まれて戦闘が始まり、董卓は味方の呂布に暗殺されて世を去ります。
董卓は自らの統治について無策ではなく、少年皇帝を囲い込んだときに成功したように、知識人階級や有力武将を手なずける、つまり「行政の頭を押さえる」ことに精を出しました。
皇帝を囲い込み、国政を思うままにした董卓は、官職の任命権を使えば、知識人や武将も囲い込めると考えて、味方につけた者たちに大きな役職を与えていきます。
しかし、一部の知識人や武将は囲い込めても、広く民衆の怒りを買っている董卓に味方することで、結局は行政官自身も民衆の怒りの対象となってしまいます。
さらに、董卓が少年皇帝をわずか数カ月で廃位させたことで、「どんな爵位、役職も自分を守ってくれない」ことに気付いた者たちは董卓を憎み、完全打倒する意思を固めていきます。
董卓の考え方は、行政官をすべて買収すれば(民衆など一切無視できる)、天下を思うままにでき、なんでもわがまま放題が可能になると考えることに似ています。この思考は、「行政官の後ろにいる何百万の怒れる民衆の力」を完全に忘れています。
広く民衆の怒りを買い、暴虐や残虐、民からの収奪を続ければ、民衆の恨みと怒りは燎原の火のように広がっていきます。董卓には行政官を買収すること以上の視野がなく、民衆の怒りと怨嗟を背中で直に感じる行政官たちが、董卓から離れないと身の危険を感じることまでは到底理解できなかったのでしょう。






