『マネジメント』(ダイヤモンド社)をはじめ、2005年に亡くなるまでに、39冊に及ぶ本を著し、多くの日本の経営者に影響を与えた経営学の巨人ドラッカー。本連載ではドラッカー学会共同代表の井坂康志氏が、変化の早い時代にこそ大切にしたいドラッカーが説いた「不易」の思考を、将来の「イノベーション」につなげる視点で解説する。
第6回からは、宅急便の生みの親・小倉昌男氏の経営とドラッカー経営学の共通点を取り上げ、理論と実践の両面からイノベーションのヒントを探る。
経営者本の最高傑作
ドラッカーは経営について洞察豊かな著作を多く残したが、自らが経営の手綱を握ることはなかった。あくまでもコンサルタントもしくは経営学者であって、外部から冷徹に急所を見極める観察の達人だった。
だが、言うまでもなく、経営とは厳しい実践である。そこには理屈を超えたものなどいくらでもある。あえて例を挙げれば、ヴァイオリンやピアノ、あるいはスポーツに似て、実際に行ってみることで初めてその実像が現れてくるところがある。
その観点からすれば、経営の実践家によって書かれたものがドラッカーの発言を血肉化する上で参考になる場合が少なくない。
私は職業柄もあって、これまで実に多くの経営者の著作を目にしてきた。中には相当によく書けているものもあったけれど、経営者による著作は、どうしても経営がうまくいっている時に書かれたものが多く、時代の変化とともに激しく陳腐化したり、社会や市場、技術の巨大な変化によって無効化されることも珍しくはなかった。
典型がダイエーである。確かに一時のダイエーは飛ぶ鳥を落とす勢いであり、経営者の中内功(「功」は正しくは「工偏に刀」)はドラッカーとの往復書簡の本まで出版していた(『挑戦の時:往復書簡1』『創生の時 :往復書簡2』(P.F.ドラッカー、中内功著、ダイヤモンド社)。しかし、一時の繁栄は永遠に続かなかった。