奥村は帰国後に介護事業の責任者を務めていた際には自転車に乗って普段着で自社の施設を回る現場主義で知られ、海外保険子会社のトップとしては北大西洋の英領バミューダ諸島の駐在も経験した。21年12月、次期社長に決まった際の会見では「現場とコミュニケーションをとり、強い覚悟でチャレンジする」と述べていた。
2月にはトヨタ自動車で中南米本部長としてブラジルに駐在中だった井上雅宏が3月1日付で子会社であるダイハツ工業の社長に就任することが固まった。完成車の認証試験での大規模不正からの立て直しの指揮をとるためだった。
井上は2月の会見で「自身が現場に出向き、自分から話しかけ、信用してもらい、本音の話を聞くことから始めたい」と述べ、コミュニケーションを重視して組織改革に取り組む考えを示した。
井上はトヨタ入社から36年間の会社員人生の約半分を海外で過ごした。社内外から定評があるコミュニケーション能力の高さが売りだ。ブラジルでは現地社員から「Massa(マッサ)」の愛称で呼ばれ、堪能なポルトガル語で距離を縮めてきた。ブラジルの代名詞であるカーニバル(謝肉祭)にはサンパウロで踊り手として参加した経験もある。
3度目となる直近のブラジル駐在では、トヨタにとって大きな決断の遂行を迫られた。サンベルナルド工場(サンパウロ州)の閉鎖である。この工場は1962年、トヨタにとっては海外で初めて完成させた重要な生産拠点だった。60年の歴史の幕引きは地元にとっても重く、慎重な対応が求められた。
井上は労働組合、サンパウロ州、サンベルナルドドカンポ市などと粘り強く交渉を重ねた。当初は2023年11月の工場閉鎖前に、来賓やメディアを招いての式典を計画していたが、労働組合員の反発が強いと分かると修正を決断。販売会社や工場OBら少人数の関係者が参加する形式に切り替える配慮を示した。