ジョルジュ・デ・メストラルは、アルプスの山奥に狩猟に出かけるのが大好きなエンジニアだった。狩猟の旅には必ず愛犬を連れて出かけた。この趣味が彼に予期せぬ課題を突きつけた。山から戻るとたいていいつも、愛犬の腹にくっついて離れない厄介な草の実に悩まされた。
デ・メストラルは不思議に思った。犬の毛にも、それにからみつく実にも、粘着性はない。そのいずれも、磁気を帯びてはいない。では、どうして実が毛にくっつくのだろう? デ・メストラルが顕微鏡を用いて調べると、一方と他方がそれぞれ、細かいフック(鉤〔かぎ〕)とループ(輪)の形状をしているせいで、ひっかかっているのだということがわかった。
この発見にヒントを得た彼はその後、無数の鉤と輪で構成される面ファスナーを開発し、「ベルクロ」の名で商品化した〔日本での商標は「マジックテープ」〕。この商品は、ファッション、医療、軍事、宇宙探査など、多くの分野で利用されている。
デ・メストラルが面ファスナーを発明できたのは、一つには、愛犬を連れて山歩きをするのが好きだったからだ。エンジニアとしてのスキルと既存の材料を利用して、ファスナーのエンジニアリングという、別の分野の課題を解決したのだ。彼の趣味こそが、しかるべき時に、しかるべき場所に、しかるべきアイデアをもたらすのに役立ったのである。
今日であれば、デ・メストラルの手法は、生物模倣技術(バイオミミクリー)と呼ばれるだろう。生物模倣技術とは、生物の形態や自然界のプロセスから着想を得た技術のことだ。
1990年代に日本の新幹線がある問題に直面した時にも、生物模倣技術が重要な役割を果たした。開発責任者の仲津英治が解決策を見出すことができたのは、個人的に鳥に興味をもっていたおかげだという。