兼松 人事、総務、運輸保険担当 上席執行役員の山科裕司氏(撮影:酒井俊春)

 独立系総合商社の兼松は2022年11月、本社ビルを港区芝浦からJR東京駅前のオフィスビルに移転した。新オフィスはフリーアドレスを基本とし、最先端のセキュリティーと柔軟な働き方を実現するファシリティーを整えている。ここで実現するのは、従業員が自分の仕事に合わせて働く環境を選ぶ「アクティビティベースドワーキング(ABW)」である。すでに社内の人の動きはデータ化され、分析も始まっている。人事担当役員の山科裕司氏に、現在の状況を聞いた。

今後30年の成長を託す本社を、再び丸の内に

――2022年11月に本社を丸の内に移転しました。丸の内を選んだ理由はあるのでしょうか。

山科 裕司/兼松 人事、総務、運輸保険担当 上席執行役員、人的資本委員会委員長

1964年生まれ、親の仕事の都合で幼少期をヨーロッパで過ごす。慶応義塾大学卒業後、1990年に兼松入社。長年電子・デバイス分野の営業に携わり、フランス、アメリカに駐在。2019年より執行役員に就任後、兼松ドイツ会社 兼 欧州会社、米国会社 兼 南米会社で社長を歴任し、現在は人事担当役員。長年の海外経験から重要性を実感したDE&Iを社内で推進中であり、2024年4月、新たに設立された「人的資本委員会」の委員長に就任。

山科裕司氏(以下・敬称略) 以前の本社が入っていた港区芝浦の本社周辺地域が再開発されることもあり、約800名いる本社従業員の移転プロジェクトが始動しました。当社は1889(明治22)年の創業以来、およそ30年ごとに本社の場所を移転してきました。芝浦の前は京橋、さらにその前は、この丸の内に本社を置いていました。

 今後30年の当社の成長を考えたとき、再び丸の内に本社を構えてはどうかという意見が出てきて、最終的には経営トップの判断で、現オフィスへの移転が決まりました。

 旧本社が最寄り駅から徒歩で10分以上かかっていたこともあり、利便性は大幅に向上しました。また、丸の内は国際的な人材が交流するエリアでもあり、当社の今後30年のビジネスを考えた上でも、最もふさわしい場所だと判断しています。

――オフィス移転のプロジェクトは、ちょうどコロナ禍だったと思いますが、遂行に困難はありませんでしたか。

山科 移転プロジェクト自体はコロナ前の2019年からスタートしていました。多様な働き方をどう実現するかは会社としても大きなテーマとなっていましたので、プロジェクトは、経営トップの指示の下、総務部が中心となって進めました。20名ほどのメンバーが泊まり込みで深夜まで議論して、コンセプトを形にしていきました。