写真提供:江崎グリコ

 社史研究家の村橋勝子氏が小説顔負けの面白さに満ちた社史を「意外性」の観点から紹介する本連載。第4回は菓子・食品メーカーの江崎グリコを取り上げる。社名の由来は、創業者の江崎利一と、彼の人生を決定づけた栄養素・グリコーゲンの組み合わせだった。 

18歳で一家6人の生活を肩に負う

江崎利一/江崎グリコ 創業者 初代社長(写真提供:江崎グリコ)

 江崎利一は1882(明治15)年、肥前国神崎(かんざき)郡蓮池村(現・佐賀市蓮池町)に薬屋の長男として 生まれた。教科書代も出してもらえないほど貧しかったが、成績は抜群だった。高等小学校を卒業するとすぐに、家業を手伝う一方、近所の篤学(とくがく)の士、楢村(ならむら)佐代吉に師事して勉学にも励んだ。楢村から「売る人と買う人の共存共栄がなければ商売は成り立たず、発展もないんだよ」と商売の本質を教えられ、その教えは、江崎の一生のバックボーンになった。

 18歳のときに父が他界すると、6人家族の全責任と多額の借金返済が、長男である江崎にのしかかった。薬種業に加え、早朝は茶がゆの味つけ用の塩を売り歩き、登記代書業(現在の司法書士)も開業、課税額の速算表を考案して登記手続日数を短縮するなど能率的かつ親切なこの代書屋は、評判を呼んだ。

 朝から夜まで死に物狂いで働いた結果、3年後、日露戦争により召集入隊する時には、借金を完済した上に、かなりの貯金までできていた。

 33歳の春、佐賀の町を歩いていると、阪神方面から瓶詰めされたぶどう酒を仕入れ、その後、大量の空き瓶を回収・返送している店に出くわした。「樽ごと仕入れて、こちらで瓶詰めにすれば、手間も費用もかからず、その分安くなる」と始めたぶどう酒の瓶詰め・量り売りは大いに当たり、九州でも指折りのぶどう酒業者になった。