劣等感をバネに出世

 容貌以外にも、秀吉には特異な点がありました。フロイス『日本史』によると「片手には六本の指があった」と記されています。姜沆の著作『看羊録』にも「右手が六本指」、前田利家の伝記『国祖遺言』にも「右手の親指が一つ多く六つもあった」と書かれていますので、秀吉の片手の指が六本あったというのは、おそらく本当のことでしょう。これは「先天性多指症」と思われますが、そのことでもって、周りから、好奇の目で見られることがあったかもしれません。そしてその事は、秀吉の人格形成に影響を与えた可能性もあります。

 様々な劣等感を有していたと思われる秀吉ですが、彼はそれをどのように跳ね返したか?「皆が見るとおり、予(秀吉)は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ」(フロイス『日本史』)との言葉を秀吉は残したとされます。身長は低く、不細工かもしれないが、そんな自分でも、ここまで出世した、どうだ! という秀吉の自負が感じられます。

 この秀吉の言葉を聞くと、劣等感を持ちながらも、その劣等感をそのまま受け入れ、しかし、それをバネにして(いつか、見ていろ)という想いで、秀吉は出世街道を走ってきたのではないか。私はそのように感じています。

 私事で恐縮ですが、私は出生時に約400グラムといういわゆる「超未熟児」として生まれました。そのことも関係あると思われますが、私も身長は150センチ前半と低いままです(秀吉の身長も一説によると、150センチ台だったと推測されています)。生まれたばかりの時に、喉に管を入れていたということもあり、声も掠れています。

 少年期、思春期にそうしたことを若干、コンプレックスに感じることもありましたが、そうしたこと(身長の低さ等)は自分ではどうすることもできません。であるならば、そのことをあれこれ考えてみても仕方がない。現実をそのまま受け止めて、前に進むしかない。元来が楽天的な性質ということもあるのかもしれませんが、そう考えて、自分の好きなことに精を出してきたように思います。

 おそらく、若い頃の秀吉もコンプレックスに負けずに、それを受け入れて、生きるための仕事を日々、懸命に行っていたのでしょう。

(主要参考文献一覧)
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第5巻 豊臣秀吉』(秋田書店、1979)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007)
・服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013)
・濱田浩一郎『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス、2022)