日本に何が欠けているのか、論者によってさまざま指摘がありますし、実際、多くの課題が複雑に絡み合っているのでしょう。ただ、取り組み次第で何とかなりそうな点として、私はまず、米国などの教育で強調される「質問をすることの重要性」について、日本でももう少し強調されても良い気がします。海外でのコンファレンスなどでは、しばしばQ&Aセッションが延々続き、タイムキーパーが大変な思いをすることが多いわけですが、これとの対比で、日本におけるQ&Aセッションの大人しさは際立っています。
さらに私は、日本に根強い、過去の判断、とりわけ組織的判断に関する「無謬(むびゅう)性へのこだわり」が、「オープン」で「アジャイル」という現在の潮流となっている開発のやり方を阻害しがちな面があるように感じます。
「オープン」かつ「アジャイル」とは、これまで作ってきたものの「誤り」を多数の知によって発見し、これを修正していくことを意味します。したがって、「過去の判断は間違っていない」というこだわりは、本質的に「オープン」「アジャイル」とは相容れないものです。また、最初から全く無謬のシステムなどあり得ないにもかかわらず、いったん作ったものを全て「間違っていない」と強弁してツギハギでシステムを作ってしまうと、結果的には高コストで使い勝手の悪いものが出来がちです。実際、そうしたケースをさまざまな所で目にしているように思います。
「知のサイロ化」を防ぐ
技術そのものは常にニュートラルなものであり、技術をどう使うかを決めるのは、結局は人間です。デジタル技術は知の共有を推し進める力を持っていますが、同時に、「知識のタコ壺化、サイロ化」にも使われかねないものです。
実際、近年の経験から、IT化が時に世界の分断につながることを危惧する声も増えています。例えば、デジタル技術の発達により、一人一人のインターネットのブラウジング歴から各人の嗜好などを分析し、これに合いそうなものをネット上で提示することなどが容易になっています。この結果、それぞれの人々が、「自分が見たい記事や情報だけを見続ける」といった環境に置かれてしまうリスクもあります。
冒頭で紹介したアレクサンドリアの図書館は、紀元前2世紀のエジプト王プトレマイオス8世による学者の追放以降、文化の中心としての求心力を失っていきました。現代において、日本がIT化のメリットを享受していくためには、デジタル化を通じて技術的に可能となった他者との知の共有とオープンな議論を意識的に行っていくことが重要であると思いますし、それこそが「ITリテラシー」の中核であるように感じます。
◎山岡 浩巳(やまおか・ひろみ)
フューチャー株式会社取締役/フューチャー経済・金融研究所長
1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。
◎本稿は、「ヒューモニー」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。