福島県南相馬市からの報告を続けよう。福島第一原発から20キロ、30キロの線で市域が3つに分断されてしまった街である。
「地震・津波」と「原発災害」の2つの被災地(死者・行方不明者は福島県で最多)であるこの街を訪れるにあたって、聞いておきたいことがあった。東京その他の全国で流れているマスコミの報道について、地元の人たちがどう思っているかである。そして、「東京」を筆頭とする他の地域の人々が「被災地」「被災者」に向ける視線についてどう思うか、である。
私がびっくりしたのは、南相馬市の市役所を取材に訪れた時だ。取材が終わり、担当の男性職員と軽い雑談になったときだ。
「NHKも朝日新聞も(南相馬市から)撤退してしまった。こないだ朝日はファクスで取材の問い合わせ来てたよね? あれどこだった?(福島市の電話番号だと同僚が言う)ほら、福島市ですよ。福島市から電話とファクスで取材してくるんだよなあ」
福島市は南相馬市から山を越えて車で1時間半ほどかかる。福島第一原発からは50キロ以上離れている。
「記者は会社の規則で原発から50キロ以内に入っちゃいけないっていうじゃないですか」
男性職員は苦笑した。
「私ら、ここに暮らしているんですよ」
南相馬市の3分の2は市民が暮らしている。30キロラインから外はまったく平常通りだ。私自身がその南相馬市に立ってみると、「50キロより外」に退避してしまったマスコミ企業は、残念ながら間抜けなほどの「腰抜け」に見える。
「あんたら、それでもジャーナリストなの?って言いたい。こんな大事件、逆にチャンスじゃないの?」
私の経験では、市役所職員のように記者と日常的に接している仕事の人たちは、大手報道企業のことを悪く言うことはめったにない。慎重な人たちだ。だから、この男性職員の怒気のこもった言葉には余計にぎょっとするのだ。