(山根一眞:ノンフィクション作家)
2014年8月、広島市の豪雨土砂災害では、関連死を含め74人の命が奪われたが、その災害現場の一つ、安佐南区の八木地区は阿武山の急峻な山裾に食い込むかのように住宅街が形作られている。
なぜ、こういう場所に密集するほどの住宅地が形成されたのか。
国際日本文化研究センター教授、磯田道史さんの、『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』(中公新書、2014年刊)にその解が記されていた。
<八木地区の団地造成は1937(昭和12)年に三菱重工広島製作所の従業員団地の造成を相談されたことから、はじまった。そして、高度経済成長期には、グリコや雪印の牛乳工場の誘致とあいまって、団地化が急速に進んだ。>
この3行を読み、「真備町(まびちょう)と同じじゃないか!」と口にしてしまった。