「日本の裁判官は正義を全うすることが難しい」──元裁判官で明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志氏は、著書『檻の中の裁判官』(角川新書)の中でこう指摘する。なぜ日本の裁判官は権力の意向に追随する傾向が強いのか? 大きな理由の1つは、彼らの多くが実は「独立の判断官」というよりは、特殊なムラ社会に生息する「司法官僚の群れ」「法服を来た役人たち」だからだ。日本の裁判官が世界の中で“特異”にならざるを得ない事情を、瀬木氏が解説する。(JBpress)
(*)本稿は『檻の中の裁判官』から一部を抜粋・再編集したものです。
「役人」になった裁判官
戦後の裁判官の歴史について裁判官のあり方という側面からこれをみるなら、おおむね、「役人が職人に取って代わる歴史だった」ということができるだろう。
日本の裁判官は、戦前から「官僚」ではあったが、一方、事件を処理する「職人」としての性格も強く、また、そうした傾向は戦後も続いた。能力は高いとしても視野はそれほど広くなく、職人芸としての判決や和解のかたちに強いこだわりをもつ、職人の親方的な裁判長、あるいは、人のいい庶民的な裁判長、そんな人々も存在した。私が修習生であったころ(1970年代後半)の地方の裁判官たちには、この種の古い気風がまだかなりの程度に残っていたものだ。
しかし、徐々に進んできた事務総局の権限の肥大化、それに伴う網の目のような支配、統制システムの増殖によって、また、時代の流れもあって、かつての職人の世界に存在したある意味でのゆとりや余裕は、裁判所から急速に失われていった。そして、事務総局系の高位裁判官たちが、表の顔と裏の顔を使い分けながら、裁判官たちを統制、管理するようになった。その結果として、裁判官の「司法官僚」としての性格が、非常に強められていったのである。