(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
前回書いたように(「なにが楽しくて生きているのか」に答える)、わたしは年をとってから「生きているだけで楽しい」と感じるようになった。しかしそのためには、少なくとも自分の力で歩くことができ、食べることができ、見聞きができる、といった基礎的な健康と、食べるに困らない程度のお金が必要である。
それらの機能の一つ二つが失われてもまだ大丈夫だとは思うが、もしそのすべてが失われるのであれば、とても我慢できそうにない。一切合切他人の介護が必要になるようになったら、わたしはこの世とおさらばしたいと考えている。
そんな状態はわたしにとって、生きているとはいえないからである(実際、おさらばできるか否かは不明。案外むつかしい)。もちろんこれは、わたし個人の感想である。それにこれは、元気なうちでの生覚悟なので、実際にそうなったらもっと生きたいと思うかもしれない。
ALS患者が生きやすい社会か
2019年11月、京都の51歳のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性が、ツイッターで知り合った医師2人に、130万円を払って安楽死を依頼し、実行したという事件があった。医師は嘱託殺人罪で起訴された。この件に関して今年10月末、毎日新聞は「オピニオン 嘱託殺人と命の重み」という記事を載せ、「今の日本は、病を持った人たちも生きやすい社会といえるのか」と問うた(2020.10.29)。3名の識者の談話が掲載されている。参議院議員舩後靖彦氏(63)、長尾クリニック院長の長尾和宏氏(62)、コラムニストの小田嶋隆氏(63)である。
自身ALS患者である舩後氏はこういっている。「私自身、人工呼吸器を付けなければ確実に死亡するALSと宣告されて2年間、死ぬことばかり考えていた。〈寝たきりの我にいとしき妻と子を守る術なし逝くことが愛〉。呼吸器を付けて生き続けるかどうかの選択を迫られた時には、そう考えた」。
2019年7月の参議院選挙で立候補し当選した氏の姿を見たときは、なんと精神の強い人なのだろうと驚いた。かれがそんな考えから、生きようとする方向へどうして変わったかについては、記事ではふれられていない。
しかし舩後氏はサポート体制の重要性を訴えている。「今、必要なのは『尊厳ある死』の法制化ではない。どんなに重い障害や病気があろうとも、『尊厳ある生』を生きられるためのサポートや制度、医療資源の充実」であり、また「障害のある子もない子も同じ地域で共に学び、育つ環境を作ること、つまり『インクルーシブ教育』を実現したい。それが難病患者や重度障碍者、ひいてはすべての人々の『生きる権利』を守る社会につながっていくと、私は信じている」