深夜の午前3時だというのに、数百人もの家族が広大なホールをぎっしりと埋めつくしていた。ホールは熱気にあふれ、こんな時間なのに子供たちがにぎやかに声をあげ、駆け回っている。

 ワシントン近郊のバージニア州フェアファックス郡の救急センターである。みんなが、日本の大船渡市での捜索活動を終えて戻ってくる捜索救助隊の帰りを待ち受けていた。3月20日の未明である。

 全米でも有名な「フェアファックス郡捜索救助隊」74人は、東日本大震災に襲われて大被害を受けた岩手県大船渡市に送られていた。日本政府から米国政府への要請を受けて、地震と津波の発生から3日後の3月14日には、もう現地入りしていた。

 フェアファックス郡捜索救助隊は、瓦礫や土砂の下に埋もれた被災者を探知するエキスパートたちである。瓦礫を除去する強力なクレーンから、特殊なハイテクの各種センサー、捜索犬までを装備し、救助の専門家に、医師や科学者までを含めた一隊だった。

ミッションは埋もれた被災者の捜索と救助

 三沢米軍基地から特別軍用機で近くのダレス空港まで飛んできた救助隊の一行は、まもなくバス2台で救急センターに到着した。作業服にブーツのままの、たくましい男女たちだが、みなやはり疲れて見える。

 待ち受けた家族からは、大きな歓迎の声が起きた。しかし、一行は家族との再会も後回しにして会議室に入り、総括の報告会に臨んだ。

 ロバート・ゾルドス隊長が、「今回は行方不明の被災者を発見することはできなかったが、生存者の確認や被災者への物資供与で成果があった。みなよくやってくれた」と結んだ。

 後で同隊長に個別に話を聞くと、もう少し詳しく説明してくれた。

 「大船渡では津波で人間がみな流されてしまったため、市街地に埋もれた人間を見つけるという、本隊が最も得意とする作業は、残念ながら成功しなかった。

 だが現地には4日間滞在し、被災地をいくつもの区画に分けて、各区画にもう人間が絶対にいないことを確認していく作業で貢献ができた。今回の津波の惨禍は、これまでの多くの任務と比べ、対処が最も難しかった」