金子コードが製造する医療用カテーテルのチューブ

 キャビアと言えばヨーロッパの高級食材だが、キャビアやチョウザメを用いた“新しい和食のカタチ”を創造して世界に向け逆輸出していこうという取り組みが、東京都大田区の電線メーカーによって推進されている。

 その当事者が金子コードの3代目代表取締役社長・金子智樹氏(51)である(前編参照)。後編では、中堅規模のオーナー企業の事業承継者として、大企業群とどう向き合い、どのような戦略構築をすべきなのか、同社の「本業」での取り組みを通じて明らかにしたい。

金子コードの3代目社長・金子智樹氏

(前編)「電線メーカーが本気でキャビアを作り始めた理由」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55095

非連続な環境変化の中での成功と挫折

 金子コードは、1932年創業で機紐(電話機用コード)などの製造から出発した企業である。戦後、電電公社向け電線事業で業績を伸ばしたが、1985年に電電公社は民営化され、大手家電メーカーが続々と電話機製造に参入。電話機用コードは、当時モジュラーコードが主力となっていたが、次第に価格競争の様相を呈し、金子コードをめぐる経営環境は厳しさを増していった。

創業時に製造していた機ひも(電話機用コード)

 金子智樹氏が青山学院大学を卒業して一営業マンとして同社に入社したのは、まさにその時期のこと。入社4年後の1994年には同社初となる海外事業の責任者としてシンガポールに赴任する。国内で価格競争が激化しつつある中、中国の蘇州に自社工場を建設し、低価格・高品質なモジュラーコードの製造販売を、国内・アジア市場向けに推進したのである。

 日本国内では、パソコンの普及が進み、ダイヤルアップ接続からADSLへと、通信はより大容量・高速化を指向するようになっていたが、電話用のモジュラーコードがそのまま転用できることから金子コードの売上は拡大していった。