1 近代~現代日本人の資質の変化
歴史的に見ても日本ほど国家が安定し、平和を享受してきた民族は少ないであろう。少なくとも有史以来、一民族で一国家が継続されている例は世界史上ほとんど例を見ない。
そのような観点からすれば、覇者としてではなく、国民の安寧と平和を心から願う日本民族の象徴として天皇家が連綿と継承されてきた事実は世界の奇跡とも言える人類の至宝で、世界文化遺産のダントツでトップに位置づけられてもおかしくないと思う。
古来、日本人の犯罪率は極めて低く、人は礼儀正しく、貧しさにもよく耐えて領主などへの反乱も少なく農耕民族特有の互助の精神が社会のルールを形成してきた。
少なくとも江戸時代に確立した米作農業を国民生活の柱としてきた戦後の神武景気の頃まではそうであった。
江戸末期になって、西欧列強の植民地主義の脅威が東洋に迫り来る中、この侵略を阻止すべく東亜においていち早く明治政府が打ち立てた“富国強兵”政策の号令の下、日本は目覚ましい発展を遂げた。
この原動力となった重要な要因の1つは、階層の上下を問わず多くの日本国民が共有していた高度な教養と固有の文化、いわゆる“民度”である。
西欧列強の脅威が迫り来た当時の“日本が置かれた状況から推察し、自分が何をしなければならないか”を多くの国民が理解していた。と同時に国の指導者が極めて適切に国民を指導して、国家の安全を守る勇気と知性・教養を持っていた。
しかし、植民地化される事態を排除することに成功したうえ、世界の列強に比肩するまで急速に力をつけた日本であるが、第2次世界大戦で国家国土の隅々までほとんど廃墟同然に破壊され尽くしてしまい敗戦となった。
明治の開国以来、短時日のうちに驚異的な発展を遂げた(黄色人種である)日本民族の再興を恐れ、これを絶対に許さないとする連合国の執拗にして残虐な空襲が全土の隅々にまで及んだ。
軍事的には破壊する必要もない市街地・民有地を無差別に爆撃して、無抵抗な女・子供・老人に至るまで殺戮した。
余談であるが、それまでは陸上戦闘が主であるから軍民を問わず多くの人が戦闘における凄惨な殺戮現場を見ているため、加害者に対する憎しみや非道さが強調されるが、高空からの爆撃はより悪質であるにもかかわらずその罪を問われることは少ない。
ところが戦後、多くの若き日本人には、資産や住居をなくしても“明治の精神”、言葉を換えて言えば“大和魂”が伝授されていた。
その廃墟の中から日本人は立ち上がった。今となってはその多くの方々が寿命を全うされた年代層であるが、獅子奮迅、家庭も顧みず猛烈に働いて日本を再び立派な経済大国にまで引き上げてくれた。
片や、占領政策によって“戦前は日本人として当然の躾事項として教えられていた宝物のような精神”が戦後生まれの若者教育には“古く誤った考え方”として排除され“個人主義というよりは利己主義”が推奨され無責任な自由主義を徹底的に植えつけられた。
当初は占領軍の政策によってそのような教育指導が進められたが、次第に左翼勢力が教育界を牛耳るようになり、占領軍の目論み以上の堕落と左翼的偏向教育が日本人自身によって行われるようになった。
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その結果、戦前の教育を受けた年代層が現役を退陣し、戦後教育に毒された世代がリーダーとしての地位を占めるのに時を合わせ、日本は凋落を始める。
そしてその害毒は今や、日本の多くの国家機関・地方自治体・各種組織・会社に至る隅々まで癌細胞の様に蔓延し、特に深刻なのはリーダーの資質が情けなくなるほど劣悪な状況を呈していることである。
要するに、リーダーとしてあるべき教養と資質の空洞化が日本社会の屋台骨として支え得る強度・耐力を著しく低下せしめ、国力全体が弱体化しているのである。
もう一言加えて言わせてもらえば、最近は国家のトップ級リーダーでさえその例外でなく、非常に心もとないように見える。このような状況は実に日本歴史始まって以来の恐るべき悲劇の始まりとも思える。