北京からの報道によれば、最近中国当局がエジプト反政府デモの「悪影響を警戒」し、関連情報の「検閲・遮断」を強化しつつあるらしい。また、今回のカイロ「タハリール広場」の騒乱を1989年の「天安門事件」と対比する論調も少なくない。
確かに、エジプトは中国に似た一党独裁国家だ。だが、カイロと北京にそれぞれ数年間住んだ経験のある筆者としては、このタハリールと天安門、「同じようで、どこか違うんだよなぁ」と感じてしまう。今回はこの「違和感」についてお話ししたい。
どちらも統治の難しい国
エジプト人と中国人はとてもよく似ている。両者に自己中心主義、人間不信、面子尊重、プライドの高さ、責任転嫁という共通の国民性があることは以前ご説明した通りであり、ここでは繰り返さない。
2000年秋北京に赴任した際も、人々が信号を無視して車道を横切る様から、家族の絆の強さ、面子を失った時の逆上の仕方まで、カイロにそっくりだと感じた。
女房には「北京ではエジプト人が中国語を話していると思え」と説明したほどだ。
どちらも古代文明の発祥地であり、植民地支配を受けた苦い過去がある。長期の一党独裁と権力者の腐敗、経済的繁栄の陰に若年失業もある。庶民の静かな「怒り」が水面下で煮えくり返っているところまで、両国は実によく似ている。
このような国家を統治するのは容易ではない。勝手なことを言うばかりで協調性のない国民にはある程度の監視と統制が必要なのだろうか。少しでも手を緩めれば、国家の統一と安定が失われると権力者は信じてしまうのだろう。
その意味で中国当局がエジプト関連報道を警戒するのは当然であり、それ自体驚きではない。特に、フェースブック(Facebook)とツイッター(Twitter)がエジプトの反政府勢力動員に果たした役割の大きさを考えれば、中国共産党の懸念も全く理解できないわけではない。
エジプト軍と人民解放軍
それでも筆者が違和感を感じたのは、「エジプトは『天安門事件』を再現しない・・・中国人社会に波紋」という記事だった。特に気になった箇所を引用してみたい。
●(エジプト)軍報道官が31日「市民が平和的に行動する限り、軍は発砲しない」と表明したことで、中国人社会では1989年に発生した「天安門事件」と比較する声が改めて高まり始めた。
●香港で運営されるサイト上では、中国人によると見られる「エジプトと中国は違う」と指摘するブログも見られるようになった。
●また、中国国外に本拠を置く反政府系メディア「希望之声」も、「1989年の中国解放軍とは異なり、エジプト軍はデモ参加者に発砲しない方法を選択した」などとする記事を発表した。
確かに、エジプト軍は2月4日現在、デモ参加者に「発砲」はしていない。恐らく、軍は、最後の最後まで、エジプト民衆に銃を向けることを躊躇すると思う。しかし、その理由は一部の中国人が考えるほど単純ではない。