京都市にある浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺(出所:Wikpedia

 戦国時代の主役は誰かと聞かれれば、おそらく多くの人が織田信長の名前を挙げることでしょう。そして、その信長を最も苦しめた存在は何かとなると、歴史に比較的詳しい人ならば、武田信玄や上杉謙信といった有名どころの武将を押し退けて「一向一揆」の名を挙げるのではないでしょうか。

 信長と一向一揆の抗争は10年以上も続き、信長は弟を含む多くの重臣を失いながらも、決定的な勝利で屈服させることはできませんでした。その決着も、信長に有利な条件とはいえ、和睦という形でついています。

 事実上、天下を取りつつあった信長を最も苦しめたのが一向一揆です。ところが、多くの講談や解説にその名が登場するものの、一向一揆自体を主題とした解説や評論はその歴史的影響力に比べ少ないと言っていいでしょう。

 そこで今回から3回にわたって、戦国時代における一向一揆の実像について解説していきたいと思います。初回となる今回は、戦国時代初期に浄土真宗本願寺派勢力を一気に拡大させた、中興の祖とも言うべき「蓮如」の活動を追っていきます。

一向一揆とはそもそも何か?

 まず、一向一揆とはそもそも何なのかをはっきりさせておきましょう。

 大分類としては、一向一揆は「土一揆」に含まれます。土一揆とは、農民層を中心とした被支配階層集団が支配階層に対し、年貢権限や借金を帳消しにする「徳政令」などを武力蜂起を含む手段で要求する活動を指します。