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スー・チー氏、ロヒンギャ問題で国民向け演説 難民の帰還受け入れに言及

ミャンマーの首都ネピドーで、国民に向けて演説するアウン・サン・スー・チー国家顧問(2017年9月19日撮影)。(c)AFP/Ye Aung THU〔AFPBB News

(文:樋泉 克夫)

 ノーベル平和賞剥奪要求からはじまり、グテレス国連事務総長の「民族浄化と形容するよりほかに適切な表現なし」との発言まで、仏教徒が圧倒的多数を占めるミャンマーにおける少数派イスラム教徒ロヒンギャ族の取り扱いに対するミャンマー政府当局の対応、わけても国家顧問兼外相としてミャンマー政府を率いるアウンサン・スーチーに対する国際的非難の声は高まる一方である。おそらく当分は収まることはないだろう。

イギリス植民地政策の犠牲者

 ミャンマー国内で約100万人を数えるといわれるロヒンギャ族は、数年前から隣国のタイやマレーシアへ海路による脱出を繰り返してきた。宗教弾圧が原因だという。今回の陸路での脱出によって、西隣のバングラデシュに逃げのびた数は40万人前後と見られる。

 今回の難民としての大量脱出を引き起こした直接的な原因は、8月25日の西部のラカイン州における総勢1000人ほどのロヒンギャ族武装勢力(アラカン・ロヒンギャ救世軍=ARSA)による国軍や警察施設などへの襲撃事件にあるとのことだ。

 そもそもロヒンギャ族は国境を挟んだ西隣のベンガルの地を故郷とし、イギリスによる植民地政策の下に19世紀から20世紀初めにかけ現在の地に移り住むこととなったイスラム教徒であり、彼らの中には、第2次世界大戦中、日本軍によるインパール作戦に協力した者もいるようだ。大戦後、イギリスが彼らの法的立場を明確にしないままにミャンマー(当時はビルマ)の独立を認めた。

 以来、彼らの法的地位は曖昧なままであり、ミャンマー国籍を与えられていない者も少なくない。ミャンマー政府は一貫して彼らを不法移民と見做す一方、1972年にバングラデシュ政府は彼らへの難民資格付与を拒否している。つまり、ロヒンギャ族はミャンマー国内の他の少数民族と同じように、イギリスの植民地政策の犠牲者と見做すことが出来るだろう。

 もともとイギリス植民地政府は、仏教徒である圧倒的多数のビルマ族、中国との国境寄りの山岳地帯に在ってキリスト教を信仰するカチン族やワ族などの少数民族、それに西南部に位置するイスラム教徒のロヒンギャ族など、彼らを分割統治することで円滑な植民地行政を狙った。この民族と宗教の対立構図が解消されることなく現在に続き、それゆえにミャンマーは統一国家としての実態を欠いたままに現在に至っている。

 軍事独裁政権は力によって少数民族を押さえ込み、統一国家の体裁を保ってきたが、民主化によって誕生したスーチー政権では、力を行使することは当然のように許されそうにない。そこで少数民族が自らの権利を要求することとなり、国家としての求心力は低下することとなった。

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