ロシアに、「不意のお客はタタールより悪い」という諺がある。お客好きのロシア人にとって、招いたお客に満足して帰ってもらえなかったらそれこそ末代の恥である。
アジア人を恐れるロシア人
だから客を呼ぶからには「女房を質に入れてでも」とまではいかなくとも、万全の準備をするのが当たり前で、それができなくなるような突然の来客は、亭主としては真に歓迎すべからざるものとなる。
そうした場合、ロシアでは「タタールより悪い」という表現を使うことが多い。その含意から、タタールがどれだけ悪の代名詞のようにロシア人に思われてきたかは容易に察せられるだろう。
タタールとは、ユーラシア大陸全域に跋扈したアジア系諸民族で、中国語では韃靼と呼ばれる人々の総称だが、ロシア人にとっては12世紀に襲来したモンゴル族を多くの場合意味しているようだ。
以前ロシアのある地方都市へ出かけた際に、町の博物館に立ち寄る機会があった。するとどうだろう。その町の古(いにしえ)がどうモンゴル人に攻撃され征服されたかの模型が内部の中央に飾ってあるではないか。
城壁で囲まれたその町を、モンゴル軍が包囲し攻め込もうとする戦闘の状況がミニチュアで再現され、何とも懇切丁寧な説明もつけられている。
日本人の感覚と全く違う蒙古襲来
我々が日本史で習った文永・弘安の役は、「蒙古襲来絵詞」で語り継がれてはいるものの、例えば博多の街の中心に博物館があり、そこにあの時はこうだった、何人殺された、などとモンゴル襲来の情景が生々しく展示されてはいない。
いまさら鎌倉時代の蒙古襲来がどうだったかなど、よほどの専門家か歴史の好事家でもなければ思い起こすこともないのが我が日本で、だから国技で朝青竜や白鳳が活躍しても抵抗感などない。
だが、ロシアはそのモンゴルに250年間も支配されていたことで、西欧には見られないアジア系人種に対する畏怖感・恐怖感を最初に植えつけられてしまったようだ。
その後の帝国主義の時代に、逆にロシアは韃靼を征服していった。そして太平洋までたどり着いた。