先週から毎週水曜日にお伝えしている徹底解説自衛隊。前回は終戦後に自衛隊がなぜ創設されたのか、その経緯を詳しく述べた。
また朝鮮戦争を契機として、我が国の防衛産業が産業として確立、世界トップレベルの実力を手にするところまでを見てきた。
今回は、冷戦期から中国軍の海洋進出が激しくなるまで、航空自衛隊と海上自衛隊が果たしてきた役割を解説する。ソ連と中国の圧力をはねつけてきた実力に迫る。
航空自衛隊による対領空侵犯措置
自衛隊法において、防衛大臣は、「国際法に違反又は航空法その他の法令に違反して我が国領域上空に侵入した外国の航空機に対して、着陸又は領域上空から退去させるための必要な措置を取らせるよう自衛隊の部隊に命じることができる」と規定されており、航空自衛隊がその任に当たっている。
この任務を遂行するために航空自衛隊は、北海道から沖縄まで日本全土の空域をカバーするよう山頂または離島などに設置されている全国28か所のレーダーサイトで昼夜を問わず24時間空域を監視している。
国籍不明と識別された航空機に対して、北海道千歳基地から沖縄那覇基地に至る全国7か所の航空基地で昼夜を問わず緊急発進できる2機態勢で待機している要撃機を発進させ、国籍の確認など、法に則った措置を実施している。
航空自衛隊は、昭和33年(1958年)に米軍から対領空侵犯措置任務を引き継いで今日に至るが、平成27年(2015年)度までの57年間において航空自衛隊が実施した対領空侵犯措置のための緊急発進回数は、合計2万5072回に及び、単純平均すれば1年あたり約440回緊急発進していることになる。
これをさらに分析すると、国際情勢の変化および我が国を取り巻く安全保障環境の変化に応じた次のような特徴がみられる。
第1期:昭和33(1958)~昭和50(1975)年
朝鮮戦争休戦協定成立(1953年)後の一時的な米ソの雪解け時期を経て、キューバ危機による米ソ対立、米ソ代理戦争といわれるベトナム戦争とその終結(1975年)、中国とソ連の対立など、冷戦は複雑な変容を遂げる。
米ソが部分的核実験禁止条約を結び、その後戦略兵器制限交渉を開始するなどデタントへと向かった時代である。
我が国周辺においては、ソ連軍の活発な行動は見られず、この期間における空自機による緊急発進回数は比較的少なく、昭和33年から昭和50年までの18年間で5043回であり1年あたりでは約280回である。