その後に尖閣ビデオの流出というでかい事件が起きたため、つい検証を忘れがちになるのだが、村木厚子・元厚生労働省局長の冤罪事件は、新聞社など日本の報道が長年崇めたてまつってきた「調査報道」にとって「死亡宣告」とも言える強烈なインパクトを持っている。

 つまり、「報道と検察の共存共栄モデル」の終焉である。

新聞社は「共存共栄モデル」にどっぷりとつかっている

 この共存共栄モデルが最初に姿を現したのは1989年の「リクルート事件」報道だ。それ以来21年続けてきた調査報道のメソッドが無力化されてしまったのだ。

 現場の記者だけでなく、新聞社の編集幹部たちは「次は一体何をすればいいのだ」と茫然自失に陥っていることだろう。もちろん、新聞だけではなく雑誌もそうだ。

 例えば、中小企業経営者福祉事業団(KSD)の古関忠男前理事長が政界工作を繰り広げて逮捕された「KSD事件」(2001年)という汚職事件があった。これは「週刊朝日」が端緒を発掘し、東京地検が立件した事件である。

 私がこの「日本マスコミ型調査報道の終焉」に感慨を深くしている理由は、実はとてもパーソナルなところにある。若い頃、自分がそこにいたのである。

 入社3年目の新米として愛知県岡崎支局にいたとき、東京社会部に呼ばれて3カ月間、リクルート事件取材班に入った。カバン1つで会社そばのビジネスホテルで暮らしながら、藤波孝生(故人)など自民党の政治家や財界人を、誇張や比喩ではなく、文字通り24時間追いかけ回していた。

 その時に26歳の若者だった私が今や47歳だ。朝日新聞社の同期入社(86年入社)組は本社デスクや支局長になっている。当時の先輩だった記者は経営幹部の地位にある。

 つまり新聞社の中は、上から下まで「リクルート事件に始まる共存共栄モデルが1面トップを飾る特ダネ」という環境の中で生きてきた人たちばかりなのだ。

新聞も検察も大義を達成し、共に社会的評価が上がる

 こうした「検察持ち込み型調査報道」の、どこが「共存共栄」なのか列挙してみよう(テレビ局の調査報道を検察が事件化した例を思いつかないので、便宜上主語を新聞社にする)。