中国の習近平国家主席は、経済成長の鈍化と情報社会の波及から生じている民衆の自由と不公平への不満による共産党一党独裁の正当性への疑念をかわすため、矢継ぎ早に手を打ってきた。
国民に「偉大な中華民族の復興=中華体制の再現」の夢を与えると同時に、反対勢力を汚職腐敗の罪で獄に投じた。
また、無冠の帝王と呼ばれた元最高指導者故・鄧小平すら手がつけられなかった人民軍の中央・地方の抜本的組織改革を断行し、党務・国務・軍事のあらゆる権力を一手に集中させた。
その軍事力を背景に国際法を無視して国境を膨張し、米国勢力をアジア西太平洋からの駆逐しようと目論んでいる。
一方の米国は、英国が欧州大陸でディバイド・アンド・ルール(分割統治)政策を駆使してきたことと同じく、アジアに盟主を作らせないことを外交政策の柱としてきた。
このため、1900年代に入りロシア帝国がアジアを征圧しようとすると日本を助けてその野望を封じ、力を得た日本がアジアで主導権を握ろうとすると今度は日本の孤立化を図り中国を助けて日本を倒した。
かくして日本は米英勢力をアジアから駆逐し大東亜共栄圏自立を狙って国際政治秩序に挑戦し一敗地にまみれたたが、今中国は巨大な経済力と強大な軍事力によって「中華民族の大復興」を掲げて米国をアジア太平洋から駆逐し中華体制を築かんと冒険していることは全く日本軍国主義が進んだ軌と一にしている
果たして米国はこれをどこまで許すのであろうか、もし許さないとすれば果たして何が生起するであろうか。そしてそのトリガーは何であろうか。歴史の事実によってこれを例証し、安全保障への道を探ろう。
砂上に作られた大国意識
日本は日露戦争に勝利し(明治38年=1905年)満洲(中国東北3省)の地に利権を占めると米国の介入を拒否し、日米対立の遠因を作った。一方、中国はウイグル・チベットを制圧(1949)大量虐殺を含んで激しく弾圧支配し、民族自決人権擁護の米国と相互反目の源を作った。
日本は第1次大戦が起こると連合国にくみしてドイツの山東半島租借地と南洋群島を攻略占領しただけで、戦後世界の五大列強の地位を得て国際連盟理事国として世界政治の指導的立場に立った。
一方、中国共産党は抗日戦では国府軍の後に隠れていたが、抗日戦が終わると国府軍を破りこれを台湾に追放し、中華人民共和国を成立(1949年10月1日)、主要戦勝国の立場だった中華民国に代わり国連の議席を得ると、安保常任理事国の比類なき地位を難なく手に入れた。
両国は共に安易に国際的主動的地位を手中にしたためその国際平和に対する責任を深く自覚できない危険性を共有する。