2020年度から、医学部の定員を減らすことが議論されている。2008年度から定員を増員し、医学部新設も進められている最中だというのに、なぜ急に定員を減らすことになったのだろう。
さらに、医療界では、2017年から新専門医制度が始まる。この制度では、初期研修を終え、専門研修を始める医師(後期研修医)が市中病院から大学に集められることになりそうだ。
これは2004年の初期研修制度制定によって大学勤務の医師が減少した反動と見なすことも可能だ。
前者は厚生労働省の政策、後者は業界団体(学会)が主導し、厚労省が支援した。国は、業界団体と協力して、医師養成数や養成システムを通じて医療をコントロールしようとしていることになる。
国の統制による医師の育成と医局制度
私にはこの政策が場当たり的に感じられる。そもそも医師養成システムを国や業界団体が管理することが可能で、それが長期的に国民のためになるのだろうか。
実は、国が大学を通して医師育成を統制する基盤は、戦時中に完成した。戦争による医師不足への対策として、1940年からの数年間で43校もの医師養成機関が増設されたのである。
さらに1973年には、国民皆保険制度導入後に増大してきた医療需要に対応するため、1県1医大構想が閣議決定された。
この当時、ほとんどの医師は大学医局に所属して研修・研究を行い、専門分野を確立していった。感染症に代わって増加してきた脳血管疾患やがんを克服するため、医学研究にも多くの税金が投入された。
医師は研修・研究をさせてもらう代わりに、医局が決定する人事に従い、地方の関連病院で勤務した。そして、適当な時期になれば、医局を辞めて、地方病院に就職したり、開業した。
これはかつての製造業に酷似する。国は繊維産業に代わって鉄鋼業に資源を集中投資した。そこで働く人たちは会社の指示通りに転勤し、一定の年齢になれば関連会社に再就職した。