退職後は、生まれ故郷の農村で庵生活をしたいと考えている。最近その準備のために、友人や知人の手を煩わせて土地探しをしているのだが、その中で農業の荒れた実態を目にして愕然としている。

 目につくのは、農作を放棄された遊休地である。荒れ果てて、中には木や小竹が生い茂って、山と化している土地もある。また、その多さは想像以上である。かつて子供の頃、わずかばかりの空地すら田畑として耕されていた美しい田園風景は、今や生気を失ってしまっている。農業が末期の姿を呈している。

 そして、友人たちの悲鳴が聞こえてくる。「せっかく収穫期を迎えても、過剰生産で売れなくなってしまう」「年収1000万円を得ようとすれば、命との取り替えっこになる」「こんな危険で不安定な仕事を、子供たちには継がせられない」。

 故郷に残り農業後継者になった彼らは、65歳を過ぎて、今やわずかばかりの農地しか耕作せず、自家消費用の野菜や果物を作るだけの趣味の農家となっている。それでも「贅沢をしなければ、年金と自作の食料で生きていける」と力なく笑っていた。

農業の惨状は国家に責任がある

 どうしてこんな悲惨な状況が日本中に生まれてしまったのだろうか。

 私が子供の頃80%を誇っていた食料自給率は、今や半分の40%(カロリーベース)であり、国家としての食料安定供給の危険水域に達している。農業人口の減少(戦後40%以上だったのが今や5分の1以下)、老齢化(65歳以上の農業就業者が半数以上)が、農業の将来や食料自給の危うさの原因であると言われて久しい。

 農業問題の専門家ではないから、具体的データに基づいて述べることはできないが、結果から言えることは、明らかに農業政策の失敗である。この農業の惨状は、国家に責任があり、施政者たちには直ちに抜本策を講じる義務がある。

 農家に育ち身体で農業を知る者として、また、三男ゆえに故郷を離れて、今は企業経営に携わる者として、「経営」の視点から見解を述べてみたい。

 農業と企業を「経営」という視点で見ると違いはあるのだろうか。基本的には同じである。つまり、「収入と支出の差=利益」が運営の基本である。

 わずかな違いをあえて挙げれば、収入の中に自家消費分の収穫物が含まれているのだが意識されず、収入としてカウントされていないことであろう。つまり数式で利益を表せば、企業は「収入-支出」、農業は「収入+自家消費分-支出」で表される。

 以下、収入と支出の2つの側面から農業経営を考えてみたい。