安全保障法制に関する国会論戦が始まった。5月20日に党首討論が行われたが、これを聞いていて暗澹たる気分になったのは筆者だけではあるまい。特に現役自衛官は、現実と乖離し、上っ面で浅薄なやり取りを聞いて、大いに気分が沈んだに違いない。
現役自衛官には言論の自由がない。心に鬱屈した憤懣を抱えながらも、不平も言わず黙々と任務を遂行していくに違いない。だがそれは健全な軍と政治の関係ではない。むしろ危険なことだ。
誰かが言わなければ、政治家は自衛官の心情が理解できないので、言論の自由がある自衛官OBが彼らを代弁してみたい。
特に違和感を覚えたのは「自衛隊に対するリスク」のところだ。昨年7月の閣議決定以降、メディアも「自衛官の危険が増える」との感情論で、国民の不安をあおり、結果的に本質的な安全保障論議を妨げてきた。
センチメンタリズムで集団的自衛権の限定行使容認を非難し、国民のシンパシーを得ようとする態度では安全保障論議は決して深まらない。それどころか「自衛官の危険が増える」と「自衛隊志願者が減少」するため、将来は「徴兵制」が導入されるといった荒唐無稽な暴論が跋扈することになる。
センチメンタリズムで議論を矮小化するな
党首討論では、岡田克也民主党党首は「自衛隊の活動範囲は飛躍的に広がる。戦闘に巻き込まれるリスクも飛躍的に高まる」と繰り返し主張し、安倍晋三首相に対し、自衛隊のリスクが増すことを認めさせようとした。
安倍首相は質問には直接答えず「安全が確保されているところで活動するのは当然だ」と答弁した。5月22日には中谷元防衛大臣が記者会見で「自衛隊のリスクは増えることはない」と述べている。
感情論、心情論がメディアを占拠している現状では、こういう答弁にならざるを得ないのだろうが、国際的には決して通用しない安全保障の質疑である。
現役自衛官にとっては「普段、自衛隊を蔑ろにしているのに何だ。法案成立阻止の手段として『自衛隊のリスク』を利用してもらいたくない」という思いを強くしただろう。自衛隊が危険に晒されるなどといったセンチメンタリズムによって、安全保障論議を矮小化してはならないのだ。