慰安婦問題では河野談話の危険性こそ直視されるべきだ――。日本の国際的な名誉を貶めた慰安婦問題は、朝日新聞の記事撤回後も河野談話の扱いをめぐり、さらに熱い論議が沸き起こっている。
中韓両国も米国も、日本に対して河野談話の見直しはするなと圧力をかける。では、河野談話に手をつけなければ、日本にとっての慰安婦問題の汚辱は消えていくのか。中韓両国や米国の日本非難勢力は、慰安婦問題での日本糾弾を止めるのか。決してそうではない点に、河野談話の根深い問題点が存在するのである。
河野談話とは周知のように1993年8月4日、当時の宮沢喜一内閣の官房長官だった河野洋平氏が発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」のことである。
その内容は、(1)慰安婦への日本軍の関与と、本人たちの意思に反したという意味での強制性を認める、(2)女性たちの名誉と尊厳を傷つけたことへのお詫びと反省を表明する、(3)そのお詫びの表明として後にアジア女性基金が元慰安婦たちへの事実上の賠償のために創設される――という骨子だった。
この談話で女性たちの強制連行は指摘していなかったが、その後の河野洋平氏の記者会見での言葉が、日本軍による女性たちの強制連行を認めたように解釈された。
今の慰安婦問題はこの河野談話を中心に動いている。中国、韓国、米国などが日本政府に対し、もっぱら「河野談話の見直しはしてはならない」と圧力をかけているのである。ワシントンでもオバマ政権の高官たちは機会あるごとに「安倍政権は河野談話を見直すべきではない」という趣旨の発言をする。これはいかにも日本を見下したような、オバマ政権らしい語調の警告として響く。だが、河野談話を見直さないでいることは慰安婦問題の解決にまったくつながらないという現実は強調されるべきである。
河野談話の「お詫びと反省」は無視されている
簡単な実例を挙げよう。
2007年7月に米国の下院本会議で日本糾弾の決議が採択された。この決議は、米国での慰安婦問題の1つのクライマックスだったと言ってよい。米側の主張は、河野談話での日本側の謝罪や反省だけでは不十分という趣旨だった。日本側が河野談話を見直さず、堅持してきたにもかかわらず、採択されてしまったのだ。