1 はじめに

 西太平洋では、中国が主に海空軍やミサイル軍で接近阻止・地域拒否能力を向上させ、米国もエアシーバトル構想を進めつつある。

 ともに大規模通常戦を想定した軍事力の造成だが、2012年頃から、中国はその一方で、国境や海洋での対立を軍事的・政治的に有利に進めるため、「サラミスライス戦略」、つまり「その一つずつは戦争原因にならないが、時間をかけることで大きな戦略的変化になる小さな行動のゆっくりした積み重ね」を繰り返しているとの論調が出始めた。

 2012年8月、軍事ジャーナリストのロバート・ハディック氏がフォーリン・ポリシー(Foreign Policy)に中国の「南シナ海におけるサラミスライス戦略」を発表したのが発端である。

 2013年8月、ブラマー・チェラニー氏がワシントン・タイムス(The Washington Times)で中印国境における「中国のサラミスライス戦略」を発表し、2014年2月、ハディック氏が再びナショナル・インタレスト(The National Interest)に「米国は中国のサラミスライスに答えを持っていない」と警鐘を鳴らした。

 そして、2014年7月10日付の英フィナンシャル・タイムズが「米国防省は南シナ海で中国を阻止するための新戦術を計画」の記事を掲載し、米戦略・戦術の見直しを暗示するに至った。

 当初、南シナ海が主であったが、今では、領土問題全体にみせる中国の戦略として注目され、周辺諸国は、その「小さな一歩」を阻止しなければ「果てしない拡張」が続くと恐れるようになった。全体像の見えない恐怖からだ。

2 サラミスライス戦略

 サラミスライスという言葉は、1940年代後半、ハンガリー共産党が他の政党を「サラミスライスのように分断、消滅させた」ことで、比喩的に使われ始めた。明確な定義があるわけでなく、「サラミスライス戦略」「サラミスライス戦術」あるいは単に「サラミスライス」と使い方も整合しない。

 一つひとつが戦術的に行われ、その繰り返しで戦略的な大目標を達成するからである。ここでは、主に、中国の一連の海洋進出活動を論じる意味で「サラミスライス戦略」を使う。

 米MIT(マサチューセッツ工科大学)のフラベル准教授は、中国の領土問題解決には次の特徴があると述べる。

 第1に、国境問題でたびたび軍事力を行使した。陸では4~5分の1だが、海洋では50%に及ぶ。第2に、無人島や支配の度合いが弱ければ軍事力行使を躊躇しない。第3に、軍事力のある国(日本、ロシア、インド、台湾、ベトナム)であっても躊躇しない。第4に、国内に問題を抱えているとき外部から何かされると、その行動は強硬になりやすい。つまり、小さな軍事力で、全面戦争に至らせない配慮をしつつも、軍事の敷居は低いのである。
中国の目標は、「中国の夢」、つまり、

(1)共産党創設100周年の2021年までに13億国民の中流生活水準を実現すること
(2)中華人民共和国創設100周年となる2049年までに世界の強国となること
(3)アヘン戦争が勃発した1840年以前の中国の国際的地位復活のために、2049年までに全力を尽くすこと

 に表れている。いずれも、共産党の正当性を意識した国内向けプロパガンダに見えなくもないが、少なくも(2)と(3)は、世界にとって大きな挑戦になる。

 これらは、劉華清の海軍建設構想(図表1)に具体的で、習近平国家主席が米中首脳会談で語った「太平洋は米中を受け入れる十分な広さがある」あるいは俗に言われる「米中二分論」にも表れている。

 中国にとっての東シナ海や南シナ海におけるサラミスライス戦略は、周辺国を犠牲にしつつも、世界の多くの国との貿易や西太平洋での安全保障地域拡大を確実に推進できる、身の丈にあった現実的な戦略ということだろう。