6月4日は天安門事件の記念日である。1989年6月4日、中国の首都、北京の中心にある天安門広場に集まって自国の民主化を叫んだ若者たちは、人民解放軍の銃弾を浴びて多数が殺された。

 世界を揺るがせたこの残虐な殺戮の大事件から今年は25周年、米国の首都ワシントンではその25周年を追想する多様な活動が繰り広げられた。中国共産党政権の自国民弾圧をいまなお糾弾する米国での動きは、日本にも新たな教訓を突きつけて迫っているように見える。

世界の普遍的な価値観を中国に求める

 米国ではワシントンを中心に官民の間で天安門事件25周年を記念する様々な行事が催された。そのすべてに共通するのは、中国当局の25年前の自国民大量殺害の残虐性を非難し、その弾圧政策がいまもなお続けられていることへの糾弾だった。こうした基本姿勢が、オバマ政権のソフトな対中政策にもかかわらず超党派でなお存在することは、米国全体の中国への態度を理解するうえで知っておくべきだろう。

 6月4日の数日前から始まった多数の活動の中で最も注目を集めたのは、5月30日に連邦議会下院外交委員会の人権問題を扱う小委員会が開いた「天安門から25年」と題する公聴会だろう。この公聴会には、事件当時、天安門広場にいて、人民解放軍が自国の人民の多数を機銃掃射や戦車砲で撃ち殺すのを目撃した歴史の証人、5人が出席し、それぞれの体験や意見を語った。

 この公聴会の冒頭で議長役の同小委員会の委員長クリス・スミス議員(共和党)が述べた言葉は、5人の証言と併せて米国議会全体の基本姿勢を物語っていた。

 「私たちすべてが当時、天安門広場の集会が自由と民主主義の勝利をもたらすだろうと期待した瞬間があった。だが不運にも中国共産党の指導者たちは武力でその動きを鎮圧することを決め、6月3日から4日にかけ、多数の将兵と戦車を北京に投入し、数千もの民主活動家たちを殺傷した。自由への夢は血みどろの悪夢と化した。私たちはこれら数千もの中国の平和的な民主主義推進者たちの貴い犠牲を忘れずに、その栄誉を讃え、彼らの人間の基本となる自由への高貴な希求を継承しなければならない」