平成26(2014)年4月1日、政府は防衛装備移転三原則(以下、新三原則という)を閣議決定し、防衛装備の海外移転を一定の枠内で認める方向に大きく舵を切った。
これまでのわが国の政策は、いわゆる武器輸出三原則等により、実質的にすべての防衛装備品をあらゆる国に輸出しないというものであり、ひいてはすでに国際的に一般化している装備の共同研究・開発なども一切できないという、いわば防衛装備品に関する鎖国状態を作り出していた。しかしそれでは我が国の安全保障の確保すらおぼつかず、この政策の行き詰まりが見えてきた。
そこで民主党政権下の2011年12月27日に、これまで案件が生じるごとに発出していた例外措置を、一定の条件下で包括的に緩和することにした。そしてさらに今回、37年間続いた政策を転換し、防衛装備品の輸出、海外との共同開発・生産に途を開いた。
ではこれでわが国の防衛生産・技術基盤は安泰になるのだろうか?
筆者はさらに引き続いての施策を打ち出して行かねば、逆にイバラの道が待ち受けていると危惧している。
1 武器輸出三原則等とその行き詰まり
1667年に佐藤首相の国会答弁で示された武器輸出三原則は、共産圏や紛争当事国など、あるいは国連で武器輸出を禁じた国々に輸出をしないとしたものであった。さらに1976年、当時の三木内閣は、この禁止範囲を事実上拡大し、あらゆる国に対して武器輸出を慎む政府統一見解を出した。
そしてこの「慎む」を国会答弁において「禁止」という意味に解釈し、防衛産業に過度の自己規制を求めた。これを本来の武器輸出三原則と対比し、「等」を付して「武器輸出三原則等」と表現している。
この政策は法的拘束力がないにもかかわらず、拡大解釈され、固定化されて、社会に「憲法違反になるので輸出してはならない」といった誤った観念を植え付けた。また武器とは到底みなせ得ないものを海外に持ち出すことさえタブー視する空気を生み出し、冷静な検討すら妨げてきた。
この間、わが国では市場が自衛隊に限られ、生産量が限定されるために量産効果が出ず、高価にならざるを得ないという悪循環を繰り返してきた。さらにバブル崩壊以降、財政が悪化し、防衛装備品開発や取得に充当される防衛予算が削減されたため、防衛産業にとっては採算が取れる見込みがますます小さくなった。
また、即応態勢の保持を厳しく求められる自衛隊では、国産装備品をじっくり育てるより既存の海外装備品に目が行き、これも防衛産業を弱体化させる一因になっている。
結果、ことあるごとに「国内の防衛生産・技術基盤の維持・育成の重要性を認識し、防衛産業を育成・活用すべきである」と強調する防衛省のかけ声とは裏腹に、防衛産業は衰退の一途をたどっており、このことはわが国の防衛態勢そのものが危機的状態に陥っていると言っても過言ではなかった。
海外においても防衛装備品が様々な先端技術を取り込んで高性能化し、開発経費も高騰したため、一国単独で開発することが困難になり国際共同開発する傾向が定着しつつある。
わが国でもわずかに同盟国米国との間では防衛装備品輸出三原則等の例外措置として、BMD開発、航空自衛隊に装備したF-2の共同開発などには、都度の内閣官房長官談話などを発出して対応してきたが、実質的にその成果が出たものは少ない。
そこで今回の新三原則は、昨年12月に出された国家安全保障戦略および防衛計画の大綱の中にあるとおり、国際的に主流になっている国際共同開発・生産に参画できるようにして経費の高騰を防ぎつつ装備品の高性能化の実現を図ること、国際平和貢献・国際協力を一層効果的にするために装備品の活用が図れるようにすること、そして結果としてわが国の防衛生産・技術基盤の維持・強化を図ることを狙いとして決定された。