20年ほど前にモンゴルで聞いたある小咄である。

社会主義時代のモンゴルに日本の首相が来訪したときのこと。
車でウランバートル観光に行くことになった。
モンゴルの書記長が言う。
-これは兄弟国であるソ連がわれわれのために建ててくれたデパートです。
しばらく行くと、
-これは仲のよかったときに中国が建ててくれた住居です。
さらに行くと、
-これは同じく社会主義国のユーゴスラビアがわれわれのため建ててくれているホテルです。
と紹介した。一向にモンゴル人自身の成果が見えてこない。
そこで日本の首相が聞いた。
-ではモンゴル自身は何を建てているのですか?
すると、モンゴルの書記長は我が意を得たりとこう答えた。
-われわれは社会主義を建設しています。

 モンゴルでは日本式の教育の評価が高い。

日本に留学するモンゴル人の多くはこの学校出身

モデルクラスの学生と教授たち。前列右から セルゲレン理事、中西佑二客員教授、西山明彦客員教授

 まず取り上げられたのは日本式の高校。2000年に創立した新モンゴル高校が挙げられる。

 モンゴルの教育制度に準ずべきところは準じつつも、日本的なカリキュラム、制服や給食のシステムなどを取り入れ、卒業生が日本をはじめ、海外の様々なところで学んでいる学校としてすでに大成功している。日本に国費や私費で留学する学生に出身校を訪ねれば10に1人は、この高校の出身かもしれない。

 日本式の教育という意味で、今、注目を集めているのが、高等専門学校、いわゆる高専と呼ばれる高校と大学の前半の2年を合わせた5年制の学校である。

 今回は、モンゴルに日本式の高等教育を導入しようとしている人々のことをご紹介したいと思う。

 モンゴルに限らず、理論を知り、計画を立てる人々と、実際に計画されたものを実行する人々の間に、大きな断絶があり、決してこの2つは交わらなかったのが社会主義の時代の工業であった。

 1990年代、日本に研修に来ていたモンゴル人技術者などでも、管理者や設計を担当した人たちが実際にものづくりをする人たちに交じり、同じ服を着て、一緒に働く姿に驚いていたものだった。

 また、1990年代に日本に技術研修に来ていた研修生の中には、冗談交じりに「モンゴルは白人(ロシア人)を唯一奴隷として使っていた国だ」と語っていた人もいた。