2月22日、日仏会館と日独協会が共催で、「日仏独における子育ての支援―それが少子化問題に与える影響」というセミナーが行われた。
パネリストは、日本担当が厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長の定塚由美子氏、フランス担当が上智大学教授のミュリエル・ジョリヴェ氏、ドイツ担当が私。そして、コメンテーターが獨協大学の名誉教授、井上たか子氏であった。会場は恵比寿の日仏会館。お天気は快晴。
意外だったのは、会場に男性の姿が多かったこと。半分近くが男性で、しかも年配の人も多かった。少子化の問題は、子供を産む年代の女性、あるいは夫婦の問題ではなく、広く国民の問題だという意識が広まってきた証拠だろうか。
女性が「産まない選択肢」を選ぶ現代社会
少子化の問題は、原因があまりにも複合的で、調べれば調べるほど、それを解消するにはどこから手をつければよいかが分からなくなるのだが、子供を産むか産まないかの決断は、家族観や家族制度、そして、結婚観、人生観、経済状態、あるいは、もっとおおざっぱに言って、世相と大きくかかわっている。
そもそも、子供を産むか産まないかの決断が女性の手に握られているということが、人類の歴史始まって以来、初めてのことだ。女性に、仕事をするか、しないかの選択肢があるのも、おそらく初めて。
昔は、嫌でも働かなければいけない女性がたくさんいて、一方、働きたくても働けない階層の女性がいた。そして、結婚は、親に言われるままにするもので、子供は、そのあと自然にできるものだった。要するに、女性に選択肢はほとんどなかった。
その代わり、世間の約束通り、親に言われた相手と結婚すれば、生活は一応保障された。貧乏人は貧乏人なりに「一人口は食えぬが二人口は食えた」し、どの女も長男を生む限り、その地位は概ね安泰だった。子は宝で、老後の保証であり、そして国の活力でもあった。その伝統が残り、日本の法律は今でも専業主婦に優しい。
しかし、問題は、現在の専業主婦が子供を産んでくれるとは限らないことだ。そうでなくても、今の世の中で子供を育てるのは並大抵のことではない。上手くいかないと、全部母親のせいにされる。だから、子供の数が少なければ少ないほど母親は神経質になり、子育ては大変になるという現象さえ起こる。