ソチ冬季五輪はもちろん、韓国でも高い関心を集めている。女子スピードスケート500mで李相花(イ・サンファ)選手が2大会連続で金メダルを獲得するなど明るい話題もあるが、圧倒的な関心を集めているのが、スケートのショートトラック男子1000mで金メダルを獲得したビクトル・アン選手(28)だ。
ロシアにこの種目で初めて金メダルをもたらしたが、8年前のトリノ大会では韓国選手として出場し、3種目で金メダルを獲得した英雄でもあった。
アン選手の活躍で大韓スケート連盟のホームページが炎上
2014年2月10日、ビクトル・アン選手が最初の種目である1500mで銅メダルを獲得するや、韓国のネットが沸騰した。
「どうして、ロシアに帰化させたのか」「誰の責任か」――。アン選手を称えながらも、大韓スケート連盟への批判が噴き上がった。
5日後に、アン選手が韓国選手などを蹴散らして金メダルを獲得すると、ついに大韓スケート連盟のホームページには批判の書き込みが殺到し、「炎上」してしまった。
韓国国籍を捨ててロシアに帰化し、韓国選手を破ったとなると、「国を捨てた男」として批判を浴びてもおかしくない。ところが、アン選手を称える声と、連盟を批判する声が上がっても、批判する声はない。みんな、この間の経緯を知っているからだ。
何があったのか。
アン選手は、韓国名が安賢洙(アン・ヒョンス)氏。幼い頃からショートトラック競技で注目を集め、ソウルの高校在学中に五輪代表選手になった。
2006年のトリノ冬季五輪では3種目で金メダルを獲得。世界選手権も5連覇するなど「大看板選手」だった。
「学閥の激突」に始まるトラブルの数々
ところが、トリノ五輪代表の座を勝ち取るまでの間に、さまざまなトラブルがあった。最大の原因は、「学閥の激突」だった。アン選手の出身校は国立の韓国体育大学。サッカー、野球などのメジャースポーツ以外の種目で圧倒的な影響力を持つ学校だ。連盟幹部やコーチなども体育大出身が占め、他校出身の選手やコーチとの間で軋轢があったという。
トリノ冬季五輪前には、アン選手が他校出身の選手から暴行を受けたと報じられたこともある。トリノ五輪前には、正常なナショナルチームの練習ができず、選手は自分の出身校OBのコーチとばらばらに練習する異常事態になった。