自分もいつかは死ぬのだろう。漠然とそう思っていたのは、60歳になるまでだった。

 還暦を迎える前に、両親と兄を見送ったら、今度は確実に自分の番だと感じた。「いつか」ではなくて、「もうすぐ」という意味だ。

 夕暮れの時間が始まって、やがて日没になるのはわかっている。

 しかし、わが身がいったいどんな沈み方をするのか、今のところさっぱり見当がつかない。

 もう寝たきりになってしまったら、どんな環境でもかまわないという人もいる。その気持ちもわかるが、家族や周囲の人たちに迷惑だけはかけたくないと、ほとんどの老人が願っているのではないだろうか。

 今は肉親に介護してもらおうなどと考える時代ではなくなっただけに、人生の夕暮れをどうやって過ごすのかは深刻な問題だ。

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 あれは私が27歳のときだった。カナダに住んでいて、田村俊子(1884~1945年)という女流作家に興味を持った。

 なにしろ当時はおそろしく暇だった。お金はないけれど、時間だけはたっぷりとある。毎日、大学の図書館に入り浸って、田村俊子の文献を漁った。

 俊子は明治の末に朝日新聞の懸賞小説に応募して当選し、大正に入ると文壇の寵児として活躍した。美人で才能もある。さらに、あの時代に三浦環と一緒に隆鼻術の手術を受けたり、舞台に立ったりもした。いささか型破りだが、いかにも女流作家らしい奔放な女性だった。

 ところが、その人気の絶頂期に、妻子ある朝日新聞記者の鈴木悦と恋におちた。自分にも夫がいたのだから、今でいうところのダブル不倫だ。日本にはまだ姦通罪があったため、世に知られれば、ただのスキャンダルではすまない。