2012年の秋、尖閣諸島(中国語名:釣魚島)の領有権を巡って日中両国の対立が激化し、それを受けて中国の主要都市で大規模な反日デモが発生した。中国の若者たちは日本製品のボイコットを呼びかけ、その結果、日本の自動車メーカーの売り上げは大きく落ち込んだ。

 それから約1年が経ち、日中双方の努力で日本企業の中国での売り上げはデモ以前の水準に回復しつつある。同時に、日本に足を運ばなくなった中国人観光客も徐々に戻ってきている。

 日中関係は歴史認識の問題や領土領海の領有権の問題で大きく揺るがされているが、個人の付き合いというレベルでは違った様相を見せる。基本的に個々の日本人と中国人は、こうした大きな問題に左右されることなく、いつも通りの付き合いを続けている。国家レベルの問題と個別の人づきあいは無関係と思っている人が多いのだろう。

 しかし、マスコミは歴史認識や領土領海の問題をまるで顕微鏡で覗いたかのように拡大させる。そのため、双方で国民感情として相手国に対する義憤がどんどん積もり重なっていく。

平和裏な南京占領ではなかったことは事実

 この40年間の日中関係を振り返ると、歴史認識の相違がいつも障害になっている。日本と前向きな関係を築いていこうと考える中国人はもちろんいる。また、日本でも中国でも高齢化が急速に進展し、現役世代のほとんどは過去の戦争を知らない。しかし、戦争を知らないからといって戦争の歴史を忘れるとは限らない。

 筆者はたまたま中国の南京で生まれた。日中の歴史において南京は特別な意味を持つ場所である。

 国民党時代の首都は南京だった。日本軍は首都南京に侵攻して占領したとき、たくさんの中国軍捕虜と市民を殺害した。いわゆる「南京大虐殺」と呼ばれる南京事件である。

 南京大虐殺記念館の壁には、日本軍による虐殺の犠牲者が「30万人」と書かれている。当時、内陸から避難してきた避難民は、ほとんどが戸籍を管理されていなかった。そのため、30万人という犠牲者の数は正確なものではなく、言ってみればシンボリックな数字である。今になって犠牲者の人数に関する論争を展開しても何の意味もない。