かつて日本でも大きな話題となったベトナムからの難民。ベトナム戦争とインドシナ半島の激動の中、ベトナムからは多数の人が祖国を離れた。

 一方、1976年の南北統一とベトナム社会主義共和国の成立から、これまでに40年近くが経過した。ベトナムも今は平和の時代を謳歌している。だが、現在においても、シリアでの紛争による難民の流出など世界では難民の発生が後を絶たない。個人の人生が紛争の中で翻弄されるという事態が今もどこかで起きているのだ。

 そこでは、難民一人ひとりに目を向ける必要があるだろう。そんなことを考えると、ベトナムからの難民がこれまでどう生活してきたのかが気になってくる。ベトナム難民の現在を追ってみたい。

ベトナム経済を支えてきた在外ベトナム人

テト攻勢で南ベトナム解放民族戦線に攻撃され避難する南ベトナム市民(ウィキペディアより)

 ベトナムは1975年のサイゴン陥落、76年の南北統一まで長きにわたる戦争を経験した。その後も同国は、カンボジア侵攻や中越戦争により、国際的に孤立し、経済的、社会的に疲弊した状況に陥り、国民生活は大きな打撃を受けた。

 こうした中、北ベトナムの勝利を受け、南ベトナム政府の関係者や、経済的に追い込まれた多くの人々が他国に難民として逃れていった。船に乗り海外に出た「ボートピープル」、陸路で出国した「ランドピープル」と呼ばれる人々だ。

 ベトナムの近代史は戦争に加え、人々の離散の歴史でもある。こうして他国に向かった人々は「在外ベトナム人(Overseas Vietnamese)」と呼ばれる。難民たちは米国、豪州、欧州など世界各地に逃れ、各地でコミュニティーを形成した。日本も一定数のインドシナ難民を受け入れた経緯があり、無関係ではない。

 一方、かつて国を出たベトナム人の中で、高成長時代を迎えた現在のベトナムに戻り事業や投資などの面で活躍する人が出てきているのをご存じだろうか。

 ベトナムで不動産関連のコングロマリット(複合企業)ビン・グループ(VIC)を設立したファム・ニャット・ブオン氏や、スターバックスに触発されてコーヒーチェーン「ハイランド・コーヒー」を起業したデビッド・タイ氏らが、実業界で活躍する在外ベトナム人として知られている。

 こうした有名なケースだけではなく、多くの在外ベトナム人は移住先の国で懸命に働きながら、祖国の親族にモノや資金を送り続けてきた。平和な時代を迎えたとはいえ、まだまだ貧苦にあえいでいたベトナムの人々の暮らしの中で、在外ベトナム人に支えられてきた面は決して小さなものではなかった。

 現在に至っても、在外ベトナム人からの送金額は大きい。世界銀行によると、2011年の海外からベトナムへの送金額は86億米ドルで、国内総生産(GDP)の7%にもなったという。

 国を出ざるを得なかった難民や経済的な要因から出稼ぎに出た出稼ぎ者をはじめとする多数の在外ベトナム人が、ベトナム経済を支えてきたのだ。